分収育林を見に行ってきた


さて、感傷的な紀行はこれくらいにして。森林局の人との待ち合わせに、贄川駅へ赴く。対応者は3人、こちらは1人。見学会と称するが、他に参加者はいない。森林局の人の車に乗り込み、許可車両以外禁止の林道を上る。林道を上がる距離自体は大したことはないが、もともとが山深い土地、少し入れば本当に山の中で、人気も感じられない場所だ。

目的地付近で車を降りた場所。比較的開けているのは、ここくらい。
目的地付近で車を降りた場所。比較的開けているのは、ここくらい。

貸与のヘルメットを装着し、いざ林の中へ。上の写真に小さく看板が出ているが、これが分収育林を示す看板で、写真左手は下るとすぐ沢。その沢を挟んだ斜面に、目的の林がある。沢を渡るのも、橋はなく、丸太、それも上部が平らに削られている訳でもない本当のただの丸太が渡されているだけ。そこを渡って、山に分け入る。前に1人、そして俺、後ろに2人。

人が普段入らないところで、道らしい道もなく、本当に急斜面。たちまち息が上がるような状況だが、森林局の人は容赦せず、どんどん歩いて行く。正直、来る前から電話の対応は人を食ったようなというか、つっけんどんで、順延の連絡があった時もこちらのアクションや意向を聞くでもなく、「要するにやりたくないってことですか?」と思わず言ってしまったほどの対応だったのだが、会うと一応はまとも。でも、普段山に入ることのない都会の人間が来てもどんどんそうやって歩いて行くのは、配慮のハの字もないというか、どこかで人を試している感じだ。信州人の、底意地の悪さである。チリンチリンと熊よけの鈴の音と、足音だけが続く。

だが、俺も普段ジム通いで、一応身体は鍛えている。まったく対応できないでもないので、付いて歩く。向こうはペースを緩める感じもないが、俺もそう遅れを取りはしない。帰り道で「普段山歩きされるんですか?」と1人が俺に訪ねたのは、「意外に歩くじゃないか」という意味合いだろう。「いいえ、全く」と答えておいた。まあそういう尋ね方も、繰り返すが、信州人の底意地の悪さである。

そんなこんなで、分け入ること30分。目的の林についた。見渡しても、昼なお暗いといった感じで、見通しは利かない。しかし、そんな中、木はしっかり育っており、見たところ、手入れも行き届いているようだ。ちなみにこの区画には、樹齢65年の杉と檜計4,460本がある。これが全て、来月には伐採されるのだ。

ビニールテープが巻かれているのは、熊が爪を立てて皮を剥ぐので、それを防ぐためだとか。
ビニールテープが巻かれているのは、熊が爪を立てて皮を剥ぐので、それを防ぐためだとか。
木々を見上げる。空の面積の方が少ないくらいに、枝が茂っている。
木々を見上げる。空の面積の方が少ないくらいに、枝が茂っている。
森林局の人は3人が対応。悪口を書いたので顔はボカしておく。立っている角度と比較して、いかに急斜面かが分かるだろう。
森林局の人は3人が対応。悪口を書いたので顔はボカしておく。立っている角度と比較して、いかに急斜面かが分かるだろう。

帰り道もハードだった。来た以上は、帰らねばならない。当たり前だが。ずるりと滑って軽い尻もちを一度ついたが、もちろんそんなことでは「大丈夫ですか?」などとは言われない。そういう人たちである。先導の人が途中、持っていた棒でキノコをひっくり返して指し示した。「これ、ボウズって言うでね。食べれるやつ。虚無僧茸って言う名だけど、この辺の人はボウズって言う」と。

ボウズ。
ボウズ。

一応、案内なりのサービス精神ではあるのだろう。俺も「へー!」と感嘆してみせ、写真に収めた。「ふーん」で通り過ぎてもいいが、一応俺1人のために車を飛ばして3人がやってきて、山中を案内してくれるのだから、大して興味をそそられなくても、そのくらいの反応は見せておいてやらないと、という訳だ。その辺は、東京人の底意地の悪さである。

さて、そんな訳で元の場所に戻り、沢を介して見上げる形で見てみるかと言われたが、もう十分なので、それは遠慮して、車で元に送り届けてもらった。世話になった、大変参考になったと、頭を下げておいた。底意地が悪いとて、きちんと義務を果たしてくれた人に頭を下げるのは、当然である。

帰りに、お昼に寄った道の駅とは別の場所で、地の野菜でも買って帰ろうかと調べ、塩尻ICの近くの道の駅に向かった。が、行くと改装中。何ともついていない。ナビで自宅に帰る道を設定すると、塩尻ICの近くのはずなのに、東京寄りではあるが、より遠い岡谷ICで乗れと出てくる。脇道で迂回しようとすると、今度はそこで工事をしていて、塩尻IC方面に行けず、結果、塩嶺(えんれい)高原という所を経て、岡谷へ。

まあ山の中のドライブもそうそうしないし、いいかと車を走らせていて、そうか、塩嶺があって塩尻か、と気づいた。昔は塩をはるばる運んできたエンドポイントが塩尻、その塩が渡ってきた山が塩嶺な訳だ。塩尻とは変わった名だなと長年思っていたが、塩嶺を通って初めてその名が意識された。

また帰りは諏訪湖でひと息。どこか温泉でも寄っていこうかと思っていたが、履き慣れないブーツの中で足は靴ずれを起こし、痛いのでそれは諦めてそのまま帰京することにした。ところが、途中事故渋滞。多重追突があったうえに、別所でも事故が起きて、自転車のような速度で走ってはまた止まるという、酷い目に遭った。

日暮れる中、渋滞は延々と。なお、完全停車中に撮影。
日暮れる中、渋滞は延々と。なお、完全停車中に撮影。