逸話のような夢


最近、即物的な日記が続いていて、こういうのは久しぶりだ。長い夢を見て、それが逸話的で面白かったので記しておく。

2012/8/26夜の夢日記

山に登り、諭される夢

(長い話で、途中で図示しておいたので、それを見ながらだとイメージが理解しやすいかもしれない。)

船か何かでそこまで連れられてきたらしい。俺はそこで2番目のミッションをこなさなければならないことになっていたが、最初のミッションが何だったのかは分からない。

目の前にはほぼ垂直に切り立った山があった。山は大きな室内の一方の壁に寄せて作られてあるようで、ちょうどボルダリングの壁のような感じだ。頂上と天井の間には隙間があった。部屋は山が入るほどに広大で、縮小からして山の頂上と天井の間には人が立てる位の空間があった。

俺のミッションはその山の頂上に立って一番高い所を指し示せ、ということらしかった。切り立った山は脆い砂岩でできていて、そこをロッククライミングよろしく素手で壁を掴んでよじ登らねばならない。他にもそのミッションを与えられている人がいて、彼らは手に松ヤニの粉をつけるなどして準備していた。俺は頂上の真下、部屋の真ん中あたりから登りはじめた。

山を登り始めると、砂岩の硬さはちょうど体重を支えて壁を掴み、別の手足を掛けると崩れる位の耐久性であることが分かった。危険ではあるが、その耐久性を信じて順々に手足をかけて行くしかない。登りながら、全身に力が入り続けていては体力がもたないから、長く登って行くには使っていない手足を充分に休ませることが重要だと分かってきた。

7、8割ほど登った所で、山の下の方からは少年がのどかな歌を歌っているのに気づいた。山の壁も上の方も砂岩だが、下の方には緑地があるのだ。歌の主は羊飼いか何かだろうか。まさに牧歌的なそれを自分の応援歌と捉えて、俺は登り続けた。もっと下、山のふもと、即ち室内の床付近には、俺やその他山を登る者を見物する人達がいて、はやし立てたりしていた。

9割方登った所で、見ると、向かって左に少しせり出した箇所の上に道があって、そこへ辿り着けば頂上へは多少は楽に歩いて行けそうだった。そこで俺はせり出た下へ移動し、登ることにした。

せり出た下には砂岩の中に、古い本が埋れていた。小学生の頃に読んでいたような単行本の漫画(実世界では俺はそうした漫画の単行本を買ってもらうことはなかったから、図書館で見たり人から借りたりしたのを読んだ物だ)や、平明な日本語で綴られた本が埋れていて、砂岩は所々粘土様になっており、本に手をかけるとそれは粘り気を持って持ちこたえ、登って他所にかかるとそれは山の壁面から抜ける。手に残った本は山の下に落とした。

ここで図示。水色のルートで登っていった。
ここで図示。水色のルートで登っていった。

この山は登る前に由緒ある山だと聞かされていた気がした。なのにこんな最近の日本語の本が山腹に埋まっているとはどうしたことだろうと、聞かされていた話を訝しく思いながら、俺は登った。周りにいた他の挑戦者は、俺に遅れをとっているようだった。俺は本がごっそり抜け落ちた、本棚一段ほどの窪みを発見した。そこには一冊だけ泥だらけの本が残っていて、背を見るとそれはかつて自分が編集に関わっていた月刊誌の古い一冊だった。俺は本棚様のその窪みに手を掛けると、上へよじ登った。

その上に登ると、幅7, 80センチの尾根があって、頂上へと続いていた。あとは歩いて頂上へ向かうだけだ。俺はそこを歩いて頂上を目指した。上り坂の上端、部屋の真ん中が頂上だ。俺は頂上に立つと、「一番高い所を指し示せ」と言われていたので、頂上に立っただけでは足りず、天井に手をついてそこを指し示す必要があるのだろうと判断し、ちょうど体を山と天井との間に突っ張るようにして天井に触れて、そこを指した。

ふと、
「よく来た」
と俺に声をかける者がいる。見ると、奥に白髪で長い髭を生やしたインド風の装束の老人が座っている。
「それでよいかな?」
と老人は俺に問いかけた。
俺はその人をサイババだと思った。(笑)
「はい、サイババ。一番高い所を指し示せ、と言われてこうしました。」
と俺は老人に答えた。

「本当にそれでよいのかな?」
と老人は言い、静かに目線を老人の近くにやった。
見ると、頂上よりほんの僅か低い地面に、何枚か座布団が重ねられて置いてある。そして座布団の一番上は、山の頂上と比較すると、ほんの少しだけ頂上よりも高かった。
俺はそれを見て、頂上に立っただけでは足りず、天井まで指し示しておけば万全と思い込んでいた自分の行為の不全を悟った。完全で自分が頂点にいると思っていても、思わぬ近い所に、なお自らよりも高い場所がある場合があると知ったのだ。

老人は、悟った俺を見て無言で頷いた。俺は「はい、サイババ(分かりました)。」と答えた。
サイババは続けて、
「途中で歌が聞こえただろう。あの歌はお前をはやし立て、からかうものだったのに、お前はよくそれに気を散らすことなくここへ来た」
と俺を労った。俺は、あの歌を牧歌的だと捉えて、ただ自分への応援歌に捉え直してここへ来た。その時、自分の周辺の雑音と思っていた物も、自分の捉え方次第で自分のチャンスや推進力へと変えることができるのだと思った。
そして、本が埋まっていた場所のことを思い出し、過去取るに足らないと思っていた知識もそれは自分が高次に登る足がかりになること、そしてそれがそこにあったことの矛盾を感じても信じることが大事なのだとのことにも思い至った途端、俺の頭の中に、
「この山は由緒正しい古い山であることには違いがないが、道が古くなって修復する必要のある時には新しい物で修復する。だから『それがそこにあることは時系列的に矛盾する』などと考えなくていいのだ」
とサイババの言葉が、声でなく直に届くのを感じた。俺はサイババを見ると、サイババは満足そうな優しい眼差しで、俺を見返すのだった。