毎日心の中で闘っていること


じりじりと体中を不快感で取り囲まれるような夏。今朝、7時頃に中央線が飛び込み自殺で止まっていた。夏の電車の人身事故というと、父の自殺を思い出す。暑い日、そこで死んだという踏切で死の翌日に血痕を探したがただの1滴も見つからず、ただレールに反射する真夏の日光と、ゆらゆら遠くを揺らめかせる敷石から立ち上る熱気とが記憶に残っている。花を手向けたかどうか忘れてしまった。多分そうしていないと思う。父とは心理的に訣別しきっているので、今はただ事実として連想されるだけだ。それが証拠に、今年は先月上旬頃だったはずの父の命日を過ぎて数週間しても、それを思い出しもしなかった。

そんな死んでしまった父よりは、執念深くも鬱陶しい人格障害の母の方が問題だ。こちらはまだ生きている。母とは連絡を絶って何年にもなる。向こうはこちらの居所も電話もメールアドレスも知らないはずだ。
こちらとて、母の去就を知りたくもないのだが、知らされてきたところによると、数年前再婚し、再婚相手の2度目の夫が死に、生前贈与された家に一人住んでいるらしい。2度目の夫の連れ子に対して遺贈するために遺留分放棄をしてほしいとの連絡が妹にあったのが2ヶ月ほど前。そんな物は欲しくもなく、死ねば限定承認でなく相続放棄をするつもりでいるが、遺留分放棄の一筆を差し入れることは無論断った。正確に言うと、断りの意思表示をしたのではなく、それに対し何らかのアクションを起こすことを拒絶した。有効性ある陳述をするには居所等記述の必要があるだろうが、それによってこちらの情報が知れるのを避けるためだ。見え透いている稚拙な手だが、それが目的でもあるのだろう。

執念のるつぼをかき回しながら人を責める念を持ち続けるのが母だ。自分の意に染まない子供は何故に自分を孤独に追い込むのか、自分はこんな扱いを受けるような人間ではない「はず」だ、なのに何故だ何故なんだと、暑い夏、独り遺された家で、じっとりと怨恨の念を煮込む母の様子が、容易に想像できる。考えてみただけで気が滅入る。そういう情念を死ぬまで持ち続ける人間がいるということ、そしてそれが自分の遺伝子の半分を構成した人間であることは、酷暑より身にこたえる。

毎日、どんなに楽しくても、あるいは疲れていてすぐ眠りに落ちそうでも、眠る前に必ずすることが俺には一つある。今日は夢に母が出てこないように、と祈ること。それが自分の中に巣喰った心の病巣から出てくる膿であろうと、生きた人間から飛ばされてきた思念というサイキックなことであろうと、そんなことはどっちでもいいが、ともかくそれに頭を使うことをしたくないのだ。このことは、前に書いたかもしれないが、今も続いている。

はっきり言うと、早く死んでほしい。死ねば他の死者達と同じように、時間をかけてではあろうけれども、沈下してフェードしていくだろう。俺は幽霊だの云々は信じていない。

いっそ死んだこととして自分の中で扱ってはどうか、とさえ思うことがある。自分にとって無価値なのだから。実際、少し前に実践してみた。俺がかつて住んでいた実家の近くに住んでいた知人に、東京で偶然出くわした時のことだ。ここ数年のことは知る由もない知人に、ここ数年を経ての自分の近況を語る時に、「両親は死んでいる」と言っておいた。自分と新しく知り合う人、あるいは自分と父母との関係を知らない人に、関係について尋ねられたら、これからは両親ともに死んだと伝えることに決めている。

よく、「親に感謝して云々」とか、「家族の愛が○○を支えました」的なことがどんな人にも当てはまる普遍概念であるかのように扱われる物言いを目にすると、何言ってやがるんだ、どアホめ、と思う。休みで子供が家にいる夏や、里帰りする人が多い盆休みや、あるいは選手を育てた父母にことさら「感動のインタビュー」を演出するオリンピック報道やらに触れると、げんなりする。

夏の電車の人身事故は、これらのことを一瞬のうちに自分の頭に渦巻かせた。(これら一連のことについての背景はこちらを参照