ジェントルマンの資質(レッスンいたします)


一昨日、本来のじょにおの誕生日から遅れること2週間、誕生祝いの食事に行ってきた。食事もワインもサービスも素晴らしいレストランで、大変気持よくその時間を過ごすことができた。行ってきたレストランは渋谷区広尾にあるRestaurant Manoir。レビューはこちらから

最後に出てきたバースデープレート。(名前入りにつき一部画像加工済み)
最後に出てきたバースデープレート。(名前入りにつき一部画像加工済み)

こういう粋な所に行くと、自分達の挙止態度も洗練度が問われるわけで、そのあたりは心に留めておいたうえで、ではどうすれば楽しめるかというと、自分のデモンストレーションでなく、料理自体を心から楽しめばいいのだと思う。
それから(また身内褒めになるが)、じょにおは食事について直感的なセンスがあるのが面白かった。例えばこの食事のデザート前に濃い茶色の粘度あるシェリー酒が出たのだが、その極甘口を飲んで「ああ、これ、アイスクリームなんかにかけるのもいいけど、わらび餅なんかの和菓子にかけてもいいかも」などと言うと、店のオーナーソムリエもそれに反応していたりした。パートナーとしてだけでなく、そうしたセンスのあるところも俺はじょにおのことを好きだったりする。じょにおは知識からひねり出したものでなく、感覚から自然に店と人の会話をセッションを楽しむことができる人で、これで31歳かと思うと、ポテンシャルが恐ろしい。

そんな感じで、店から我々がどう思われたかは店の人のみぞ知るというところだが、そのあたり、じょにおはどこへ行っても恥ずかしくない振る舞いを身に着けていて、頼もしい。そしてこれからの成長がますます楽しみだ。

そういえば、立ち居振る舞いといえば、先月行った(もう先月か!)ハワイでのレストランや店での体験を思い出し、「あああれは大事なことだな」と思ったことがあった。それは、然る場所で然るべき扱いを受けるための資質についてだ。

いわゆる高級と言われるホテル、レストラン、店などに行ってどう扱われるかは、実は自分の資質を相手に受け止めてもらって扱いの如何が決まるという、自分を写す鏡のようなもので、高級な場所だから即エグゼクティブ的・VIP的扱いを受けられるはずというのは、当然ながら間違い。
もちろん、意地悪で歪んだ鏡もあるから、自分の姿が正しく反映されないというケースもなくはないが、いい鏡とは自分の姿を正しく反映させるものであるから、ここはそういう正しい鏡であるという前提で。

さて話は戻って具体的に、ハワイでの場合。

朝食はホテルのメインレストランでビュッフェスタイルが多い。泊まったモアナ・サーフライダーでもそうだった。日本人の多くは旅行会社から渡されたチケットと引換に食事をするのだが、入口でチケットを黙って付き出すあれは、いかがなものだろうか。そして格好も、いくらその後すぐ海に出かけるとしてもビーチサンダルではいただけない。それは、お金のあるなしではなく、精神的クラスが低いと言わざるを得ないものだからだ。
当然、サーブする側はそれらを通じ、その向こうにある貧相な実体を見てサービスをするのである。見ていると、それらの人々は、無表情にふさわしい無表情で迎えられ、席に案内される名前を呼ぶ場合も数人まとめて呼ばれ、呼び捨て。接する人もまた人間、当たり前だ。客としては、店の人にちょっとした挨拶をする、単語でなく簡単でいいからフレーズでしゃべる、場所や働く人に敬意を示す意味での格好をするといった姿勢があればいいのに、と思う。

この際、自慢に聞こえるのを承知のうえで、我々(俺とじょにお)の受けた待遇を言ってしまうと、毎朝笑顔で応対されて名前も”Mr.”つきで呼ばれていたし、何日かすると着席して我々が飲むのはコーヒーなのか紅茶なのか、キッチンへ別オーダーする物のお気に入りは何かなども、サーブする人が変わっても覚えていてくれた。すると、こちらもホテルの人も笑顔がほころんで、快適な場所がより快適になった、というわけだ。

あるいは、街なかの店で。カジュアルなサーフショップなんかでは”Hi, guys~~”と言われたら、”Hi, aloha~~”でいい。「探しものはある?」→「ちょっと見させてくれる?」or「○○を探してるんだけど」、「別々に包む?」→「あ、一緒の袋でOK」のごくフランクで簡単なやり取りで十分。そして、ちょっとした高級店に行けば、それなりの言葉遣いにすればいい。日本人だとつい黙って商品に手を伸ばしがちだが、その前にちょっと丁寧に”Would you mind if I touch(ed) it?”と言えば、ああそれなりの人なんだなと店の側の人も理解して、丁寧な応対をしてくれるだろう。

たまに、そうしたティップスを「そんなことは分かってるけどそこまですることはない」「いちいち決まりごとに縛られたくない」と、意図的に無視した我流でやるのだ、と主張する人がいる。 それは一般に、野卑と言われる。望む結果を引き出したかったら、過程や前提を大事にすべしということを、もっと頭の良い人は心得ているものだ。

こうした姿勢の違いが扱いの違いとして最も顕著に現れる場面が、ファインレストランでのディナーだ。

まず予約の段階からそれは始まっている。やはりそうしたシチュエーションでもうまく事を運ぶコツというのはあって、まず、店の人が多忙を極めている時を避けて、余裕のある時間に予約を入れること。そして、ホテルのコンセルジュを通じてであれ、直接レストランに伝えるのであれ、自分の希望の要項だけを伝えるのではなくて、それは対話であることを心得、相手が尋ねる順番に従って、希望をひとつひとつ、ゆったり伝えればいい。きっとそうした対話にふさわしい、良いテーブルが確保されて待っていることになるだろう。

レストランに行くにあたっては、リゾートであっても、ジャケットの一つも着ていくのが望ましいが、暑いのに我慢することはない、暑い所には暑い所なりの盛装(正装でなくともよい)があるもの。アロハが認められていればアロハで。ただ、短パンは避けて、長ズボンで。そして靴はリラックスした形のものでよいので、革の靴がいい。そうした格好は、店に敬意を示すものであるとともに、自分がルールをわきまえた知性のある人間であることを知らせる手段の一つなのだが、思い悩むことなく、それ自体をお洒落として楽しんでしまえばいい。照れは無用、伊達で行けばよい。

ディナーに臨んだら、まずはレセプショニストに”Good evening”と笑顔を一つ。予約のある旨を伝えたら、席案内の係に案内されて歩きながら、「今日は賑わってますね」「日中はいい日でしたね」と一言くらいは(当たり障りない言葉でいいので)会話を。きっとフレンドリーな対応が返ってくる。

そして着席したらソムリエとテーブル担当のギャルソン(女性の場合もあるが)に、注文の前に一言挨拶を。そして飲み物は自分の喉を潤すだけでなく、店の経営をも潤すものと心得、アルコールが飲めない場合にも某かは頼むべし。食べ物だけで収支が見合うレストランは、高級店でもほとんどない。
もし飲み物に法外な値段がつけられていたら、ミネラルウォーターでよろしい。しかし、本当にいいレストランでは、ワインもそこそこの値で提供されているはずだ。あるいは、その高い値付けがリゾート値段だったとしたら、それは運搬費・施設維持費・地域振興費込み込みと心得るべし。

そこで、ワインを頼むとする。一流のソムリエは、御用聞きや使いっ走りではない。予めネットでその店のワインリストを知っていて、飲みたいものが決まっている場合でも、自分の好みを伝えてお勧めを尋ねるとよい。それは、人の存在価値を認める行為であって、価値を認められた人間はその認めた人間をよりきちんと扱ってくれるはずだ。そして案外自分の飲もうと思っていたワインよりも素晴らしいワインを飲む機会を与えてくれるかもしれない。

テーブルマナーを守るのは、スマートに食事をするための合理化された流儀なので、乗っかっておいた方がかえって楽。そしてそれは、一緒に食事をする人を心地よくさせ、そうした知的レベルの人なのだと評価が返ってくるだろう。魚料理をきれいに食べて、骨やヒレを綺麗に始末しておけば、皿を下げるギャルソンにも「お」と思わせることができる。
それから、マナーの中には店の人へのサインの意味の行為もある。殊にカトラリーサイン、中座の際や食事の終わりのナプキンの置き方、チップの支払い方、そうした事々はレストランに意思を伝える言語であると認識して実践すべし。そして、食事自体を楽しむことを忘れずに、味に心酔すればよい。自分たちが出した料理を喜ぶ客を見て悪い気がする人はいないはずだ。

ハワイでの食事の一コマ再掲。心酔もさることながら、ここでの酔いは酒の酔いがメインだが…。(笑)
ハワイでの食事の一コマ再掲。心酔もさることながら、ここでの酔いは酒の酔いがメインだが…。(笑)

こうした事々を通じて、我々は旅中たびたび、それぞれ違う場所で、呼びかけとして”Gentelemen, …..”と言う言葉を受けた。それは、我々の様々な行動を通じて相手への敬意が伝わり、相手が敬意を返してよこした結果なのであって、格好をキメたから、金を大枚はたいたからという、即物的・表層的なことではないのだ。

そうそう。レストランでの振る舞いについて、大変参考になるサイトがある。『ほぼ日刊イトイ新聞』にあったサカキシンイチロウさんの過去連載で、興味があれば是非読んでみてほしい。共通したエッセンスを感じることができるだろう。記事はこちらから

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……と長々書いたが、これでめんどくさいと思ってしまった人は、残念ながらまだジェントルマンの資格に及ばない。ジェントルマンとは、ルールに則ってコードを使い粋な知的遊びができる人。そのうえで人に対する敬意を示し、享受することのできる人を言う。プレイするにはルールを学べ、というのは何であれ同じ。そして粋なプレイをすれば、その名プレイヤーは人の記憶に残り、名声を博するわけなのだ。つまり、複数回訪れた場所では自分のことを覚えておいてくれてより丁重な扱いを受けたり、繰り返し体験したことがキャリアとなって、初めての場所でもきちんとした待遇を引き出す説得力となる。

現代ではジェントルマンが数少ない。現代社会にあってジェントルマンが育つ条件として、教育、良い物や場所に触れる機会を境遇として得ていること、知的好奇心など、いわばラッキーと意志力とが両方あることが必要とされるうえに、絶え間なく日常で身の回りから押し寄せてくる非スタイリッシュな事物を断固として拒否し続ける尋常ならざる精神力などが要るから、稀有であること当然なのだが、社会がそれに価値を置かなくなったこと、それを無視しても生きてはいけるという効率優先の物質・実質主義がはびこっていること等々が影響しているのだろう。俺の知り合いでもジェントルマンと呼べる人は、本当に数えるほどだ。

しかし、ジェントルマンになることを志すならば、資力はさておき、幸運な材料としては、知的にふるまう意思があれば、かなりの所まで近づけるということがある。そして、ジェントルマンと呼ばれるのに年齢は関係がない。遅くスタートしたとしても、年や経験を重ねるにつれて洗練度が増していく可能性がある一方で、10代でさえジェントルマン扱いされる人はいる。自分は無理と諦める前に、自分がきちんとした立ち居振る舞いができないことをおちゃらけてみせて隠す前に、違う世界が広がっていることに目をつぶってないことにして自分の世界を矮小化する前に、男は一度はジェントルマンを目指すべし。

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さて、ここでジェントルマンになりたい、なるにはどうしたらいいだろうかと思った人へ。ジェントルマンの心構えと実践について、まだまだ勉強中の不肖ワタクシではあるが、これでも幼少からその手の経験は多少ともあり、ご興味あれば、レッスンしましょう。レッスンの頻度、内容、謝礼等は応相談。(笑)
いや、「(笑)」とつけてるが、ほんとにしますよ。そういうレッスンが受けられる所はそうないとは思うけれども、ジェントルマンたらんとすることに興味があるあなた、いかがですか?