断片的思考


  • サッカーワールドカップに全く興味がない
    「何もそこまでアンチというかオルタナというか、そんなスタンスを取らなくてもいいのに」とかいう反骨精神の発揮ではなく、本当に何の微塵も興味が持てない。連日大々的に報道されるので、ブブゼラがどうのカメルーンに勝ったの、それくらいは知っている。でも、それは俺にとって、中央線快速で「次はお茶の水」とアナウンスする声の方がまだ有意義に思えるくらいに、興味がない。
  • 音楽消費
    音楽がデータになってからというもの、気に入らない曲は削除削除で、あるいは最初からダウンロードさえされなくなって、昔、限られた予算でどのアルバムを買うかタワーレコードで吟味したり、違うバージョンのリミックスを求めて何軒もレコード屋を回ったりした結果イマイチだった曲を、せっかく買ったのだからと聴いていた頃の方がよかったのではないかと思う。作り手も聴き手も真剣だった頃の曲はよく覚えているのに、最近「いいな」と思った曲がいつまで経っても構成や歌詞が覚えられないのは、自分が40代で物覚えが10代20代に比べて劣るはずの年齢とかいうことと、別のところに原因がある気がする。この類のことは前にmixiの日記で書いた気がするが、最近とみにこの傾向が強くなってきた。
  • 酔いに任せた会話
    この前の日曜日、夜に家でパートナーじょにおとワインを飲んでいた。その時に、将来的な話になり、自分がどうなりたいのか、どう自分自身を持っていくべきなのかを話した。茫洋とした、しかしいつも自分を支配しているそのことを、ちゃんと話しておくのもいいかと思うが、そういうことはどうして酒が潤滑材になるのだろう。といっても、普段俺は酒を飲んでも性格が変わるわけでもなく、ある程度以上飲むと眠くなってしまうだけなので、飲ませて面白いタイプではないと思うが。
  • 体への執着
    府中のジムに通うようになって、ワークアウト中にじょにおも同じ空間でワークアウトしている。じょにおのためにメニューを組んだり、セット数やレップスを指定したり、個々の種目の指導をしたりしているせいか、じょにおはかなりがっしりしてきた。(ペアでのトレーニングはしていない。お互いその日の部位が違ったり、ペースが違ったりするからだ)対して俺はというと、最近どうもワークアウトが義務化していて、自分から進んでやっている感じではない。ジムに行くのは、以前ならやる気があったり、「頑張ってるそんな自分が好き」みたいな若干イタい心境でやっていたりしたものだが、どうにもカッタルイのだ。「ああなりたい」と思うような人をジムで見かけないのが原因か? 付き合う人がいると研鑽を放擲して体型がユルくなるというのは嫌なので、まだ義務感が堕落を上回っているとは思うが、危険水域に近づいていると思う。何とかしなければ。
  • 新しい試み
    自分の発信方法として、近々小説ブログのようなものをやり始めるかもしれない。twitterとか、ああいうのは思考の垂れ流しで、あまり自分を発展させてくれないと思う。と言いながら友人とのカジュアルなコミュニケーション手段としてmixiボイスなるtwitterの後追い機能は使っているが。ともあれ、自分の発信を、もう少し何かまとまった形式にしたいと思っている。
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