世界と分かり合えない


会社や通勤中の電車内・駅やジムなどで、他人を見て思うセリフ。それが、「世界と分かり合えない」だ。好きとか共感するとか、そう思う人が元々少ないのは 自覚している。それ以上に、その他が嫌いな場合がほとんどなのだと、最近強く思う。どうでもいいとか普通とかの中間があまりない。集団ストレスが強いのだ ろうか。

特に電車や駅などでは、「この愚鈍な衆偶どもめ」と思うことがたびたび。某ドラァグクイーンの言ではないが、「元々嫌いな人の方が多い」たちに拍車がかかった感じがする。

審美眼とか知性とかは、かえって苦悩を増加させるんじゃないだろうか。何の疑問も持たずに「楽しいから」といい年をして少年マンガを読み耽ったり、「かわいい」と何のコーディネートもファッション的統一も考えずにキャラクターぬいぐるみの携帯電話ストラップをつけたり、太鼓腹で恥ずかしげもなく「ゴールドジム通いっす。ガチムチ最高っすね」と言ってみたり、前時代的な髪型で丈の足りないズボンを履いて会社勤めをしていたり、下卑た顔のお笑い芸人が業界ずれした話を垂れ流すテレビ番組に同調できたりする人間達の方が、周りから審美眼とか知性とかを侵食されずに、むしろ周りを蝕んでやすやすと自分の居場所を確保する点では、幸せではないか。ではそれを選択するかと言われたら、断固として拒否するが。

そして、そんな大勢の人達を見ると、彼ら彼女らが堆積した結果の世界とは分かり合えないと思うのだ。まぁ、「私は世界と分かり合えている!」とか、人類皆兄弟とか言う方がおかしくて、怪しい宗教のようだから、分かり合えない方が正常なのかもしれないが、げんなりしつつ怒りを覚える対象が「普通」で「まっとう」なはずの大勢の人ということを考えると、やはりこの「世界と分かり合えない」感覚は、「どうでもいい世界と何とか折り合いをつけられそうな気がする」くらいに緩和したいものだ。