ちゃんとした文章を書く力


おちゃらけの面白おかしい文章なら、誰でも書ける。端正な、言葉の響きや漢字のバランスにまで気を配った美しい文章を書く力のある人は、くだけたスタイルでも書けるが、「なんちゃって」しかできない人が逆にハイパフォーマンスを発揮するのは、大変なことだ。いわば、同じ100km/h走行をするにも、ベントレーやアストン・マーティンで走るのと軽自動車で走るのとでは違うのと同じだ。そして自分には、ハイパフォーマンスが発揮できる、と思っていたのだが、それが何だか全然できていない状態に愕然とした。

仕事で、短い論文を書く必要があって、ドラフトで9割方できているつもりだったのに、ほんの1日2日おいて読み直してみたら、見事にハチャメチャだったのだ。何が言いたいのか要点が分かりにくいし、複文構造がねじれているし、論理の流れが滞っている所も多々。論文は期日までに出せはしたものの、推敲しながらその下手さ加減に、自分が信用できないと感じられたほど。仕事関係の論文だったので、ボスにドラフトを見せてアドバイスをもらってからの推敲だったので、恥ずかしいやら情けないやら。リライトバージョンは一発OKだったが、文章には一家言持つはずの自負が、情緒も音の美しさも要らない文章を書けばいいだけのこんなことで、大きく揺らいだ。

今回のそれは、出せど言われたから嫌々書いた文章で、気が進まず身が入らないままに、小手先でちゃっちゃと済ませられたはずが、そうは行かなかった。やはり後ろ向きな姿勢だと、その消極さが見事に破綻として出るものなのだなと思ったが、久しぶりに自尊心が傷ついた体験をした。週末、うまい気分転換をしたいものだ。