4ドアサルーンの思い出とジャガーXE


次の車をジャガーXEに決めて来週にはいよいよ納車。楽しみで、パートナーじょにおには呆れられるほど毎日試乗記事を読んだりYouTubeを見たりしながら指折り数えて待っている状態だ。

XEは4ドアサルーン。ジャガーのサルーンとしては一番小型なのだが、ジャーマンスリー(メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ)などがそれより小さなクラスの車を次々発売し、車全般で見ればミッドサイズ4ドアサルーンという位置づけ。

4ドアサルーンには思い出がある。頭の中にだけ留めておいたことを、形にしておくのも悪くない。書き留めておこう。自分のことをよく知らない人からも茶々の入りやすいSNSと違って、このサイトは自分のサイト。自由に使っていいのだ。

おそらく、自分の車好きは、父のファーストカーに端を発している。日産グロリア4ドアハードトップ2800SGL(330型)。1975年に発売された車だ。

日産グロリア4ドアハードトップ2800SGL
日産グロリア4ドアハードトップ2800SGL

当時はまだパワーウィンドウが装備されている車も少なかった時代、数々の電動装置を装備していたり、ラジオの後席からのコントローラーや、ファンシーライト(奇妙な呼称だがそう名付けられていた)付きのオーバーヘッドコンソールなどもあって、機械好きの自分にとって、とても興味を引く車だった。エンブレムや、運転席ドアにあった4つのウィンドウスイッチと集中ドアロックなんかのパネルを絵に描いてみたりしたものだ。
周囲にこのクラスに乗っている人は少なく、車を褒められていい気分になり、4ドアの高級車に一番興味を持った。いわゆるスーパーカーブームが相前後してやってきて、もちろんスーパーカーのほとんどは2ドアだったのだが、小学校低学年の子供の頭の中では、2ドアはスーパーカー(もしくはスポーツカー)、高級車は4ドアという分類で、実際に触れることのできる車として、俺の中では心躍る車といえば、4ドアの高級車だったのだ。

そして、子供の頃に印象深い車がもう一台ある。ピアノの先生の自宅に停められていたジャガーXJだ。幼稚園時代からピアノを習い始め、最初はカルチャーセンターの一室にあったピアノ教室だが、俺が小学校高学年になった頃、そこを借りずに自宅で教えることにした先生のもとに、週に1度通っていた。その先生自体のことは嫌いで仕方がなかった。ミスをするとすぐ手をピシャリと叩かれる、大声を出すなど、今なら即刻クレームものの人だった。不細工で、女性だがゴリラのようだと思っていた。
ピアノ教室に通うのは憂鬱でしょうがなかったのだが、玄関に停められていたブリティッシュグリーンのXJ(今から思えばシリーズIII、先生の夫の車だった)は美しくて、ピアノ教室を終える時にはたいてい嫌な気分になっていたが、帰りにその車を眺めることで気分を上書きしていた。子供心に美しい車だと思ったものだ。

ジャガーXJ シリーズIII
ジャガーXJ シリーズIII

その後、父はグロリアを2台買い換え(途中2000CCの車にしたら馬力がなく、母が『踏んでも出ない』と文句を言っていたことを思い出す)、俺が大学生の頃、初代シーマに乗り継ぐ。俺が免許を取って教習車以外で初めてステアリングを握ったのは、父親のその車だった。255馬力のこの車は、ターボラグの後にリアを沈み込ませて猛然と加速するいわゆる「ドッカンターボ」。制御技術も今とは雲泥の差で簡単にリアが滑る車を、免許を取り立てで乗っていたのは、思い返すに恐ろしい。実際、山道のカーブで砂利が散乱している所で、リアを滑らせてぶつけ、フレームが歪むほどだった苦々しい思い出もある。それだけでなく、若気の至りで無茶な運転もした。

初代シーマ
初代シーマ

そんな思い出から幾星霜。今回、ジャガーXEを選んで思ったのは、SUVやミニバン全盛のこの時代に4ドアサルーンを、そしてジャーマンスリーが席巻している状況で敢えてジャガーを選ぶというのは、自分の車好きのルーツに源泉があるのだろうなと思った。三つ子の魂ではないが、刷り込みとは強力なものだ。

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