東京レインボープライド2019参加レポート


今年も例年のごとく東京レインボープライドに参加してきた。年々規模が拡大し、今年のパレード参加者は公式発表で10915人。去年のパレードの参加者が7000人だから、ずいぶん増えた。第何次かのブームともいえるLGBTの報道扱いやドラマなどでの露出増加も、人数増加を後押ししたのだろう。もちろんLGBTとは生き方のコアの問題であり、一過性のブームなどの問題ではないが、こうなれば、よほどの圧政などがない限り、この事象が縮小後退することはな。当事者でありながら日陰者扱いを好むひねくれ者や、表に引っ張り出されることを恐れる人は、オープンになり社会と調和的に生きようとする人々の動きに冷水を浴びせようとするが、もう止められないのだ。

フロート数も大幅に増えた。行進は午後2時スタートだったが、一通り歩き終え、会場を見てから車で帰る時にスタート地点を通りかかったら、6時前だったかと思うが、まだスタートでスタンバイしているグループがいるほどだった。

我々が歩いたのは、『結婚の自由をすべての人に (Marriage For ALL)』というフロート。同性婚の、というよりも平等婚の実現をアピールするフロートで、去年と同じく友人と集ったが、今年はさほど暑くなかったので、犬達を初めて連れて行進することができた。

犬達を連れて行進待機。
犬達を連れて行進待機。

行進はピースフル。沿道の人々の笑顔が非常に多いのが良い。こんなに人の好意に接する時間を持てることもそうないのではないかと感じられた。犬達も歓迎されていたようだ。

行進中。
行進中。

例年だと1日目が会場でのイベントおよびブースが主で、2日目がパレードだが、今年は逆で、事前参加受付はフロートによりウェブで済ませて(特に現場での確認はなし)、集合時間に集まって待機→出発という感じ。いきなりのパレードだったので、ブースをじっくり見て回る余裕はなかった。

パレードを歩き終えて帰ってくると、ステージでは各国からの参加者の紹介をしているところだった。
パレードを歩き終えて帰ってくると、ステージでは各国からの参加者の紹介をしているところだった。
大変な人出。運営によると、イベントの来場者は過去最高の20万人に及んだという。
大変な人出。運営によると、イベントの来場者は過去最高の20万人に及んだという。
歩き終えて歩道橋から会場を見るパートナーじょにおとプットニョス。
歩き終えて歩道橋から会場を見るパートナーじょにおとプットニョス。
同 俺とノアノア。
同 俺とノアノア。

さて、今年も無事参加できてめでたしめでたし…で終わればよいのだが。今年のパレードのブログを書くのが遅くなったことの次第は以下。

様々なフロートが出た中、下着メーカーの協賛で、パンツ姿に装飾を施した一団がいて、それがけしからんだの、ゲイが「そういう人」だと思われたらどうのといった非難をツイッターで目にした。そして、それが露出制限の署名運動までしていて、そこには台湾プライドの画像を使用した捏造までが掲載されていた。

これに関しては、いかにナンセンスな話であるかの反論がもう既に多方面から種々述べられているので、ここであらためて展開することはしない。

が、その騒動を目にして思ったのは、過去にもそうしたくだらだない批判はあったが、歯牙にもかけられず一笑に付されてハイオシマイだったのが、ツイッターだのウェブ署名だのといった共通プラットフォームに乗ると、それがいかにも対等で正当なカウンターであるかのように扱われてしまうという、ウェブ拡散時代の害悪の典型だなということ。
それは、差別発言についての寛容のパラドックスとか、両論併記が公正であるかのように扱われる、論理上間違ったことと同様なのだが、世の中には他人が妬ましい、自分が果たせない希望を満たしている人が許せない、といった根性の腐ったのがいるのは重々承知として、そういう者達が本当に邪悪なのは、前に進もうとする人がその負の感情(論理ですらない)を諌めるために余計なエネルギーを割かねばならないこと。対立や分断、不寛容が席巻する昨今において、唾棄すべき案件でありながら、心に染みを作るような一件であり、心穏やかに「ああ楽しかった、また来年!」と締めくくる気持ちになれなかったのが残念だ。

が、そんなことは言っていられない。ここに集った人々は、前に進むのだ。クサイ言葉だが、皆、愛を信じている人達である。そして俺もじょにおも、そうした人でありたい。足を引っ張るネガティビティーなど、笑い飛ばしてやる!

帰りに、代々木公園で。
帰りに、代々木公園で。