ここより他の場所


キッチンボード導入の後半はまた別の日に書くとして、他のトピックを。職について。いつも興味がある「食」についてではなく。

いつ会社を辞めるかを、頻繁に考えるようになった。朝の通勤電車で、対面に座る餃子靴を履いて少年マンガを読む腹の出た男の姿を見る時に。関連の薄い会議で、テクニカルターム乱発の話を聞いて眠い時に。帰宅して、野菜を使い切るために新しい料理を作ってみようと、トマトをスライスする時に。ジムで、手とマルチクリップの間にローイングマシンのハンドルを握りながら。

詳細はプロフィールページに譲るが、曲がりなりにも勤めて給料をもらう生活をずっとしてきていて、いくつかの会社を経験し、もうしばらくになるが、どの会社にいても、自分はそこに人生のウェイトのメインを置いているわけではなかった。それは今もそうだ。費やす時間は長いにしても。何となく、おぼろげながら、そのうち物を書いて暮らすようになる(なりたい)という青図はあるが、「では、どうやって?」というところで止まってしまって、自分の責任で自分でやるしかないことなのに進んでいなくて、時を取りこぼしている気分がする。「サラリーマンは気楽な家業と来たもんだ」と、昭和の頃に歌われたが、俺の場合、仕事でストレスが溜まるとか、自由がないとか言いながら、居心地の良さもどこかで感じているのだろう。会社にいるということはシステムに守られているということで、有給休暇だの社員優待だの会社発行のクレジットカードだの健診制度だのと、いろいろおまけがついてくる。それに、今の仕事は時間中はハードだが、会社生活で精も根も尽き果ててしまうこともなくやっていけているので、となると、そのぬるま湯状態に浸かったままなかなか出られないのだろう。自分のエキスが知らぬ間に滲出していって、知らない間に煮られて死ぬ蛙のような状態なのかもしれない。

それとともに、時々、勤め人の格好をしない人の人生を考える。朝出勤する時、駅とは違う方角から来て、駅とは反対方向に歩いて行く、小柄だが筋肉質な若い男と、時々すれ違う。何をしている人なのだろうと思っていたら、ある日、俺が勤めを終えて夕飯の買い物をしに駅前のショッピングセンター内にある肉屋に行った時、店の奥の調理場から肉を売り場に並べに出てきた男が、その男だった。食肉処理をしている人には体格のいい人が多いと聞いていたが、そういうことなのかと思った。尤も、大きな食肉加工場で動物の肉を処理しているのとは異なって、町の肉屋だから、職業的体型ではなく、俺と同様にジムかどこかで鍛えているのかもしれないが、いずれにせよ、彼はスーツを着る生活を送っていない。

またある日、じょにおと町をドライブしていて、青山から千駄ヶ谷まで抜ける間に、ハンドメイドアクセサリーの店を見かけた。信号待ちの間、車の中から店の様子を見ると、中でバーナーに点火してアクセサリーを加工している人がいた。そして手を休めて、店にもう一人いる人と話をしていた。自分の才能を信じて、小さいが恐らく場所柄テナント代は安くはないであろう場所に店を構えて、才能を信じて仕事としてバーナーを握っている。俺とはまったく違う生活をしているその様子が、印象的だった。

昨夜、じょにおが都心に用事があってそれを済ませ、俺は仕事後にジムでワークアウトしてから新宿で待ち合わせて食事をし、その後飲みに行った。滅多に飲みに行くことはないのだが、新宿二丁目にある最近オープンしたバーに、友人のバビ江ノビッチバビエ(以下、バビエ)が火曜~金曜まで入っているというので、会いに行ったのだ。バビエが「恐ろしく小さなバー」と言っていたが、二丁目のバーとしては標準的な大きさで、平日は女性も入店可とか。
店に行くと、男性よりも女性の方が多かった。バビエの接待を受けて、もう一人、天天というゴーゴーをやっている子とともに4人で話をした。レギュラーでバーに入るのは初めてというバビエ、確かにクラブで見慣れている姿とは違う感じではあるが、ゲイバーにありがちな妙な押し付け営業モードではなく、自然体で営業していた。その辺りの上品さを保っているのは、とかく内輪ネタ・楽屋ネタでかつ下世話に下世話に流れていきがちなドラァグクイーンのなかで、その場で完結するエンターテイメントとしての鑑賞に足るショーを繰り出し続けるバビエらしい感じだ。何ということもない話をして退店し、帰宅したが、ああ、ここにも自分の才能を信じてそれを糧に生きている人がいるのだなと思った。

先週末、友人の涼佑がうちを訪ねてきてくれて、お茶をしたのだが、詳細は記さないが、彼も元は給料取りであったのが、今は自分で事業をやっている。そしてお茶話のついでに、俺の今の状態についてアドバイスをもらったのだが、ともかくも案ずるより産むが易し、か?

日記のタイトルは大江健三郎の小説から拝借。