今日はじょにおの31回目の誕生日だ。が、本人は不在。今日から週末まで仕事の慰安旅行でグアムに行っている。朝5時台に家を出て行ったので、その時見送りはしたのだが頭が働いておらず、「おめでとう」はじょにおが空港で出発を待つ間に電話で言うことになった。
付き合い始めて3年半ほど、誕生日を祝うのは4回目になるが、それは来週にでもするつもりだ。いない間に俺の見たじょにお像でも書いておくか。
俺の友人からは異口同音に「よくできた人」との評価をもらっている。確かに、「その歳にしては」という制限抜きで、人間ができていると思う。え、それはお前が人間ができていないから余計そう思えるんじゃないかって? 失礼な!(笑)
人間ができているというのはどういうことなのかともう少し詳しく見るに、調子や感情の起伏が一定している、ということがある。もちろん人間だから「今日は調子が出ない」とか「仕事で疲れた~!」とか「今日は難題ばかりに遭遇する!」ということがあるにしても、それでどんより落ち込んだり、プリプリしたり、あるいは人にあたったりということがない。
体の調子を大きく崩すこともない。普段、じょにおも俺と同じような頻度でジムに行きワークアウトしているが、そうした「運動する能力」の意味での体力がある以外に、「病気をしたりして生理的に日常を損なうことがない」という意味での体力も充実しているのだと思う。むろん、今日はしんどくてしょうがないという時はあるにしても、そういう時には夜早い時間に寝てしまう。そうすると翌日には朝からちゃんと行動ができている。
そうそう、朝といえば、俺は目覚めてからが超スロースターターで、何なら機嫌もよくないことすらあるのだが、じょにおはパッと目が覚めて、朝からニコニコして”All the lovers that have gone before ~~”なんて鼻歌でも歌いながら家事をしていたりする。じょにおはそんな風だから、「今日はなんだか難しいなこの人。何が不満なんだか分からないけど、どうしたもんだか」などと扱いに困って気を遣わせられることがない。
日本ではパートナーのことを公然と褒める習慣がないから、読んでいる人には気色が悪いだろうが、今日はじょにおの誕生日、もう少し辛抱してお付き合いいただく。
そうした所に加えて、人のことを受け止めるのがうまい。人が何か物や態度を指し示す時、往々にしてそれはきっかけにすぎず、どう反応してほしいのかは少しシフトしたところにある、という場合も少なくないが、そうした真に意図するところを読み取る能力が高いのだと思う。それは、仕事にしろ私生活にしろ求められる能力でありながら、十全な能力を備えている人は少ないが、じょにおにはそれが備わっているのだと思う。
その他、嗜好する物だの社会的な思想だの、生き方に対する姿勢だの、諸々あるが、こうした人間をパートナーにできて、とても幸運でハッピーだ。
31にしてそんな具合のじょにおだが、色んなことで既に俺よりも優れているし、他のこともいずれは追い越されるだろうが、俺もそう簡単にはすべてを凌駕はされまいと思っていて、それは前を向く原動力の1つにもなっている。じょにお、多分グアムではこれを見ないと思うけど、誕生日おめでとう。これからじょにおという人間がどうなって行くのか、益々楽しみにしてるよ!
