過日、一枚の葉書が届いた。『ドレスアップオプション相談会』なるものの予告で、新居の入居前に内装にオプションをつける注文会実施の知らせだ。例えば壁に調湿タイル(エコカラット)を貼るとか、アクセント壁紙にするとか、インテリアに関する相談会があるそうで、カタログは9月上旬に送られてきた。この調子だと引き渡しや引っ越し期日まではあっという間。できることをできる時にしてしまわねばならない。
不用品の処分
そんな訳で、住み替えるにあたって、余計なものをどんどん処分して行く必要がある。売れる物は売ってもいいが、買い手と連絡をつける・受け取りの算段をする等が面倒だなという思いが強い。
今のうちに順次捨てるべきものは捨てていこうと、音楽CDをエンコードしてデーター化し買取に出したり、使っていない炊飯器だの、もう使わなくなったシンセサイザーユニットだの、ロフトにしまいこんだまま使う機会のなかった絨毯だのをゴミとして出している。
処分に困っていたのが、コロナ禍に入った時ジムが閉鎖された間、ワークアウトを自宅でするために買ったホームジムのマシン。十数回使用したものの、そのままになっていて、使わなくなり久しい。欲しい人がいればとツイッターで募集したところ、相互フォローの方が入り用とのことで、引き取っていただいた。大変ありがたい。以前使っていたBowers & Wilkinsのスピーカーも。
アルバム
さて。体積的に大きくはないが、処分に迷うものがある。俺の子供の頃の写真アルバムだ。赤ん坊の頃から小学校に上がる頃までのが何冊か。

小学校中学年以降独り立ちするまでの物はない。おそらく大半は絶縁した母親が持っていて、あとは実家が処分された時に残置物として留まり、引き取り手に処分されたのだと思う。卒業アルバム等もないが、特段学校に思い入れがあった訳でもないから、それはどうでもいい。この辺の家庭の事情は本サイト別コーナーに書いてある。
俺の人生は親からの影響を受けなくなってからが本物だと思っていて、となると、アルバムは要らないのではないか。羽ばたく鳥に卵の写真は要らない。アルバムを処分したところで俺の出自がなくなる訳ではないし、アルバムを見返すことは、境遇に対する複雑な思いを生じることなしにはなし得ない。迷うのだが、今まで何となくクローゼットに押し込めたままにしてあったそれらは、数枚を残して近々処分しようと思う。
見返すこともなかったアルバムを開いて見た。誕生直後の写真は白黒だ。1967年はまだそんな時代だったが、ほんの数カ月後にはカラーになっていた。退色した写真を見る。写真の中の人物は幸せそうに見える。当たり前だ、写真はそうしたシーンしか撮らないし、その中でも写りのいいのを選んでいるのだから。そうしたいいとこ取りの集合体がアルバムだ。謂わば人生の表っ面である写真を見ても、この父母が後年俺を苦しめ、このいたいけな子が後年辛苦を数味わうことになるのだと思うと、胸が苦しくなるばかりで、懐かしくも、感慨に浸るわけでもない。やはりこれは、処分してしまうのがいいように思う。

新居に持って行ったとしても、それをまたクローゼットに押し込めるだけで、もやもやした気持ちは整理されないままになる。俺もいい加減いい歳だ。親など死んでいてもおかしくはなく(実際問題、父親は自殺とはいえ他界してもう20年超になる)、親が与えた影響が残ることは避けきれないにしろ、足枷を自ら外そうと思う。
(次回『住み替え オプション相談会という欺瞞』へ)
