今日、58歳を迎えた。年齢の数字と自分の感覚とが一致しない。時々、病院などで書類に年齢を書くと自分でびっくりする。が、先月、中学の同級生と一泊旅行をした時に徒然に話をしていて、定年になったら何をするかという話が出て、そういう時期に差し掛かったのだなあと。話をしている感覚はお互い、中学時代と何も変わらないのに。定年というと、俺の中では、禿げてしょぼくれたオッサンが似合わないお義理の花束を差し向けられて老いを実感するステージに入る、チープなドラマのワンシーンのようなイメージだ。実際、世間的・客観的にはそんな段階なのだろう。
毎年、誕生日をパートナーに祝ってもらい、お互いの誕生日には「◯◯歳の豊富は?」と尋ねることが多いのだが、もし今日それを聞かれたら、その答えは「着陸準備」だ。
我が家は今年、第2章ともいうべきフェーズに入った。プットニョスが一生を終え、マンションを買い替え、4台目となる買い替え車もオーダーした。いつも仕事に忙しいパートナーは輪をかけて忙しく、海外出張も増え、今まさに上昇気流に乗っている。たまにパートナーが仕事関係での会合の写真を見せてくれるのだが、仕事上の人間関係が広がり、そこに写る人たちは皆エネルギッシュ。そんな様子を見た時、もう俺の人生にはそういうことは訪れないなと、人生における経時的なステージの違いを認識した。
YouTube等で自分の好きだった音楽のライブ映像や、当時見逃していたPVを観ると、それらが今はとても見つけるのが困難で、その困難さはそれが古いからだということに愕然とする。そして更にそれらを観ると、VHSやらレーザーディスクやらから起こされている4:3の画像で、画質音質は期待するべくもないことに、がっかりする。記憶の中では鮮明なのに。それらは、レトロで、置き去りにされたものなのだ。まあ正直、今聴くとサウンドスタイルは古臭くて、それを古臭いと感じるということは、自分の感覚が当時に取り残されてはおらず、アップデートされているのだということに、少し安堵は感じるにしても。
自分の趣味趣向を形作った時代が遠い過去で、それはもう今の時代にフィットしないスタイルだからといって、別に自分の今をも卑下している訳ではない。今の日々の生活を楽しんでいるし、確実に自分は過去でなく今を生きて行っている意識はある。
今の自分のステイタスとしては、再発癌の治療後の経過は安定していて、来春には治療完了から丸5年を迎える。パートナーと、仕事におけるステージは異なるとはいえ、まだ色々前に進める必要のある仕事はある。
つまり、総じて言えば安定期といったところか。
しかし、自分の人生の終わりを見据えて「あとどれくらいこのことができるのだろうか」と、様々な機会ごとに考えることもしばしばある。いつの間にか、人生の折り返し点はとうに過ぎていた。
俺の人生には、波乱もあった。否、むしろ波乱の中を進んでいることの方が多かった。その只中にある時は、辛いというよりもそのことに対処しているのが必死で、必死であることすら認識せずにただ進んでいた。逆境だと認識はしていたが、しかしそれを苦闘と表現するならば、俺自身よりも傍目からそう見えたのではないか。今の生活を楽しめている様は、人生前半のその苦労を経ての収穫期だと思っている。
皆さま、当機JOE1119便は、これから少ししますと、着陸体制に入ります。途中、乱気流により運行にご不安を感じられたかと思いますが、当機のただ今の飛行は安定しておりますので、どうぞご安心くださいませ。それでは降下姿勢に入るまで、今しばらく快適な旅をお楽しみください。


