2日目 原爆関連施設訪問
朝方雨が降ったが、朝食を終える頃には上がっていた。この日はガイドをつけて原爆関連施設をツアーで廻る予定で、まずは待ち合わせ場所の広島平和記念資料館へ徒歩で向かった。

写真では空いているように見えるかもしれないが、見切れた箇所には観光バスが何台も止まっていて修学旅行生もおり、また、外国人観光客の姿も多く、連休明けの平日にもかかわらず人出は多かった。
ガイドしてくれたのは、被爆二世の方。ツアーの総評を先に書いておくと、とても質の高いツアー体験で、貴重な話や歴史背景、地元の方ならではの背景事情を含めた詳しい説明を聞くことができ、ただ自分達だけで見て歩くよりも遥かに学びの多い体験ができた。
パートナーは元来、残酷な話や暴力が苦手。「あまり辛かったら途中で離脱してもいいよ」と旅行前に俺が言っておいたのだが、覚悟を決めてここから学び取る姿勢で臨み、一つひとつの資料を丁寧に見て、1時間半程度かけて回った。ガイドさんによると資料館は通常1時間程度、早い人だと4、50分程度で見るとのことだった。
ここからずっと歩くので、休憩を挟んで次は広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)へ。死没者名簿の眠るここを多くの人が訪れ、手を合わせていた。原爆記念日によくテレビで見るここを訪れることができて感無量だった。

ここから北東へ進み、上の写真の奥に小さく写る「平和の灯」へ。核兵器の廃絶を祈り、不断の火が灯されているが、この火は核兵器がなくなったら消される予定なのだとか。残念ながら、この火はこの時も今も燃えている。
現在、この世界には12,241発の核兵器が存在する。この平和の灯の台座は、手の形をしている。人の手で作り出したものは人の手によって終息させることができることを象徴化したものだとか。
ここから更に北東へ歩き、原爆の子の像、平和の鐘へ。ボーダーのない世界を願っての、国境線のない世界図がデザインされた鋳金工芸作家の香取正彦の手になる鐘を撞いた。

ここの後は公園内で近くにある原爆供養塔、韓国人原爆犠牲者慰霊碑も見て、一旦公園を出、原爆投下の目標地点となった相生橋を渡って、当時の建物が残る本川小学校平和資料館へ。鉄筋コンクリートの建物の地下までもが甚大な被害を受けていることにおののく。ここには原爆死没者慰霊碑に刻まれているかの有名な「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」の原本が壁に飾られている。

そして再び相生橋を渡り返す。原爆ドームが見える。ガイドさんのお母様は、原爆が投下された当日、この近くに弟さんを探しに来たそうだ。そして見つけたものの、瓦礫から弟さんを引っ張り出そうとすると、弟さんの腕の皮膚は剥け、腕がダメならと背中に手を回して抱き起こそうとすると、その背中もずるりと皮膚が剥けてしまったのだそうだ。そこから何とか大八車で自宅まで弟さんを運ぶが、弟さんは自宅で息を引き取ったのだそう。それでも、惨禍の中、会えて自宅で看取れたのは、数多の犠牲者の中では幸運なことだったのだという。ガイドさんのお母様は現在92歳。毎日、折り鶴を折っているのだとか。
原爆ドームを間近で見る。言葉がない。
次にこの至近の動員学徒慰霊塔へ行き、次いで爆心地へ。爆心地は、恥ずかしながら原爆ドーム真上だと思っていたのだが、実は原爆ドーム真上ではなく、後に三角測量でもって、ドームより100mほど南東、現島内科医院の上空だと判明したのだそう。ただし、火球は1秒後には半径200メートルを超えたというから、ほぼ原爆ドーム上空と言っても誤りではない。
この爆心地近くには、原爆が落ちる前からある墓地がある。そこの墓石に用いられている花崗岩にも、原爆の痕がある。墓石真上からの熱線で、石の上部はざらざらになったが、横は磨かれたつるつるの表面を保っていた。
ここからすぐの場所にある、展望台を備えたおりづるタワーにも登った。上からは、広島市内をぐるりと一望でき、原爆ドームもここから見ることができる。ドーム敷地内には立ち入れないため、ここからの眺めは貴重だった。

ここでガイドツアーは完了。礼を言い、ホテルに戻って一息つき、気分を変えた。
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