短編小説『夜中の精霊馬』


毎夏、8月12日になると俺は夜中にこっそり精霊馬を作る。それをするのはサトルが寝てからのことだ。何もこっそりしなくてもいいのかもしれないが、精霊馬は、前のパートナーの和寿のためで、和寿がそれに乗って俺のもとを訪れてきてほしいと願って作るものだから、今のパートナーのサトルには何となく気が引ける。それで、毎年夜中にこっそり作るのが習慣化してしまった。尤も、サトルは俺が前にどんな男とどんな付き合いをしていたのかに、あまり関心はなく、言ったところで、「ふーん」で済ますのだろうが。

前パートナーの和寿は、田舎が岐阜で、骨はそこに埋められている。しかし、埋められているのは和寿家の墓にではない。父母の命により、実家の墓には入れてもらえず、隣の田んぼの土手の片隅に埋められた。そこにはただ『和』の一文字だけが掘られた石が、頼りなさげにぽつりとある。

その石は「今どき土まんじゅうだけという訳にもいかないだろう」との理由で和寿の父が、石屋で余っていた駄石に、和寿の『和』だけ掘らせた物だ。
しかも、法に触れずそうするため、骨を砕いて散骨の形式でまず骨粉を撒き、1週間ほど経ってから土をかぶせると、これもまた墓地以外の場所への埋葬を禁じた法律にふれるからと、さらに雨が何度か降った後、あぜ道の整備工事を装ってなされたのだった。
俺が和寿の石に参ることはできない。 葬式だけは何とか出て手を合わせたが、和寿の父に、そんな田んぼの隅なんぞにわざわざ人様に手を合わせてもらう訳にはいきません、と慇懃無礼に拒否された。『エイズ』という言葉は口から出すことさえ憚られるという面持ちで。

そうした経緯から、俺が和寿の所に行けず、なら来てもらおうと、お盆の前の夜、俺はひっそり精霊馬を作るのだ。

普通、精霊馬といえば、きゅうりや茄子で複数頭作られるものだと思う。一説によれば、きゅうりが行きの馬、なすが帰りの牛らしいが、きゅうりが苦手だった和寿は、きっときゅうりの馬には乗ってくれない。だから、俺は茄子だけで精霊馬を作る。作るのは一頭きりだと何だか寂しいので、気に入った馬に乗ってもらえるよう、三頭ほど。作った精霊馬は夜の間だけ俺の書斎の窓際に置いておいて、朝には分解してしまう。そしてその茄子は、翌日13日の夕食に再利用する。冷蔵庫の中に何があるかあらかた把握しているサトルのこと、茄子を買ってきて料理に使わずそのまま捨てたら不自然に思うだろうから、そうするのだ。それに、精霊馬にした茄子を食べることで、俺としては、途切れてしまった和寿とのヒストリーを、今の生活に取り入れて、引き継いでゆく気もする。
送り盆にはこれはやらない。散骨された場所が果たして和寿が帰りたい場所なのかどうなのか、分からないから。

サトルと和寿は、嗜好も性格も風貌も、全く似ていない。
サトルには、苦手な食べ物はほぼない。が、和寿は瓜科の食べ物は苦手だった。きゅうりだけでなく、メロンでもスイカでもかぼちゃでも。
サトルは冷蔵庫の中に何があるかはチェックしていても、その他の細かいことには頓着しない。家の中の物の配置がよほど大きく変わらない限り、どこに何が置いてあっても大して気に留めない。だから、俺の書斎の窓際に精霊馬があっても、気づくことは多分ない。
そもそも、いつも俺よりも早寝で遅起きのサトルが、俺の書斎の窓際で、お盆の前夜遅くから朝方にかけてだけ起きる、一夜だけの短くひっそりとした変化には、気づきようもないのだ。
対して和寿は、細かく気がつくタイプで、俺が物をつい起きっぱなしにしてしまっていると、きっちり片付けて、あるべき物はあるべき所に置く主義だった。

サトルは比較的小柄な俺よりさらに背が低くて、洋服選びにいつも苦労している。和寿も洋服選びには苦労していたが、それはサトルとは反対で、190センチの大男だった。だから、きちんと背を伸ばして入れられる棺桶の用意がなくて、愛知の葬儀屋から急遽持ってこさせたくらいだ。正確には、持ってこさせたと「聞いた」。俺が葬式に出た時には、既に和寿は焼かれていて、葬式の祭壇上の骨壷にちんまりと収まっていたので、俺は棺桶に入った和寿を見ていない。

棺桶とあぜ道の『和』石の話は、和寿の姉から聞いた。生前、折に触れ、姉ちゃん姉ちゃんと話に出てきていた和寿の姉は、両親とは確執があった和寿が、唯一心を許していた肉親だった。和寿が岐阜の病院で息を引き取った後、俺にこっそり連絡してきてくれたのも、その姉だった。俺は友人として葬式に参列し、和寿の姉が何かと甲斐甲斐しく式の間雑用をこなす様子を見た。そして、涙の一つも流さず、株主総会で吊し上げにあった会社役員のように、苦々しい表情を忌みのポーズにすり替えている和寿の両親を見た。

和寿の姉には、和寿の骨が墓に埋められたら教えてくれと頼んでおいたのだが、「ひと悶着あって墓が決まるまでには時間がかかるかもしれない」と言われていて、実際、和寿の姉から連絡が来たのは、3、4ヶ月してからだった。もう、7、8年も前のことになるから、連絡があった正確な日付は忘れてしまったが。

俺は精霊馬を作ると、書斎の西側の窓に、お尻を西に向けて置く。岐阜から、俺のいる東京に向けて和寿が乗ってきてくれるようにと。なぜ、和寿の父母は、あそこまで粗略に自分の息子を扱うことができたのだろうか。墓に入れないだけでなく、土地のそうした風習もないのに、葬式の前に火葬すら済ませてしまってもいた。死んだのは、たかが病気でという単純な理由なのに。和寿の両親は、和寿を、そのすべてが穢らわしかったとでもいうように、まさに文字通り葬り去ったのだ。

精霊馬を作りながら、和寿の受けた処遇を考えていたら、つまようじを深くギリギリと茄子に挿してしまった。今年の精霊馬は、短足だ。こんなで和寿の精は朝までに間に合うだろうか。

茄子はそんな訳で、お盆の初日には必ず食卓に登場する。といっても、特別なメニューを作るのではなく、ある年は焼き茄子だったり、またある年は味噌汁の具になっていたり、浅漬けにされたりといった、他愛もない使われ方だ。

「この時期には茄子が出るねえ。」
と、今年の茄子の再利用のタイ風グリーンカレーを食べながらサトルが言うので、少しどきっとしたが、茄子は夏野菜でおいしいよね、と軽く受け流して、俺はカレーを食べ進めた。サトルが食べている皿を見ると、サトルは茄子を好んで食べているようで、鶏肉やらパプリカよりも減っていた。
「サトル、そんなに茄子好きだったっけ?」
「うん、普通に好きなんだけど、この時期にリュウちゃんが作る茄子入り料理は、なんかいつもよりもおいしいんだよね」
そう言うとサトルは俺の背中を越して、コンロの前に行き、鍋からおかわりを取ったかと思うと、今度は
「カレー足したらご飯が足りなくなっちゃった」
と、炊飯器に向き直っている。そしてコップに水を注ぎ足すと、またカレーを食べ始めた。

(完)