小説『クラブロンリー』第9章 最終章[DRAWSTRING BAR]


第8章[QUICK]から続く

次の土曜日。DRAWSTRING BARのドアを開けると、入口すぐのテーブルに、竜人をここで初めて見かけた冬の夜、一緒に来ていた2人がいた。話をしたことはなく、いつものように、するようなしないような会釈で通り過ぎようとした時、そのうちの1人から声をかけられた。

「竜人の友達ですよね?」
「そうです」

そう、俺は竜人の友達だ。距離を埋められず、恋人には、なれなかった。友達というのは事実として至極正しい。

「竜人、亡くなったって聞いてますか?」

その言葉に、一瞬全ての音が遠ざかった。同時に周りの客達が、顔は動かさず、しかし一斉に注意を向けてくる気配がする。詳しく聞かない訳にはいかなかったが、内容が内容だけに、話がマスキングできるよう、ディスコ特集で懐かしのサウンドが鳴り響く店の奥のダンススペースに引っ込み、お互い名乗るのも早々に、話を聞いた。

事実を告げられる毎、冷たいビリビリとした衝撃が、俺の背中から全身へ伝った。先週、浦島橋で規制線から出てきた救急車が目の前を通りすぎるのを、漫然と眺めていたこと。政次が取り乱していたこと。あれを、今こんな話で結びつけることになるとは。

竜人にはあの翌日、電話をかけた。いつも4、5回のコールで竜人の母親が出るのだが、電話は留守電になっていた。竜人の母親は、幾度となく電話を取り継いでもらっているという限度でだが、知らない仲ではなかった。が、実家の留守電にメッセージを残すのは何となくためらわれ、また、何回も電話をするのも気が引けた。何故来なかったのかと責める形になるのも何なので、再度電話をかけ直すことはせず、そのまま平日をやり過ごした。今日ここで多分会えるだろう、そうしたら尋ねてみよう、そう思っていた。

竜人の元恋人なのだと、2人のうちの1人は言う。別れようと竜人から突然言われたのは、冬だったらしい。俺が竜人と出会い、甘酸っぱいデートのようなものを重ねていた時と相前後する。

「悠一さんのことは、当然頭に浮かびました。でも、竜人が『理由はそれじゃない』って言い張るので、問い詰める形になったんです。そしたら」

言い澱んでいるところ、もう一人が手助けで切り出した。

「『HIVに感染した』って」

重い石をみぞおちにぶつけられる。

「特に症状はなかったんだそうです。夏までは。でも、腕に赤斑が出たらしくて。『それだけじゃエイズを発症したってことにはならないでしょう』って言ったんだけど」

竜人の元恋人は、続きをそう説明するが、目は俺を見ておらず、緑と紫の照明がフロアーを行ったり来たりするのを追っていた。

「あの日は、夕飯を一緒に食べたんです。その時にそれを見せられました。僕からしたら、全然大したことなくて、本当にそれだけじゃ『それ』には見えない感じでした。他の見た目は全く変わっていないし。俺とは、それが、最後でした。竜人は、『夜は踊りに行く約束があるから』と」

あの日の留守電は、消してしまった。直接中で、という竜人のメッセージも、その後の無言も。残しておいたところで、どうしようもないが。もう声を聞くこともできず、あの体に触れることもないのだという、感傷と、悲しみと、衝撃が入り混じる。何故、俺には話してくれなかったのか。あの夜。暗い運河へ飛び込む決意をした竜人は、上った隣のビルから、QUICKにいた俺を思っただろうか。クラブスタイルを気取り、男を目で追い回し、乱痴気と不埒に興じていた俺を。

そしてもうひとつの感情、不安が鈍く沸き起こる。あの冬の日、竜人の前にしゃがみ込んだ俺を制した、やさしくも決然とした手の意味。それから数度、俺と竜人は関係を持った。安全な方法でしかしなかったはずだ。比較的。ジョイントで飲んでいた時、タグチさんについての噂話を竜人がシャットアウトしていたのは、人の噂を好まない高潔からだけだったろうか。

Donna Summer [Hot Stuff]がかかった。彼女が、「エイズはゲイに対する神の罰」と言ったらしいが、この店には、まだレコードは割られもレコード会社に送り返されもせず、残っているらしい。

今週、矢のように過ぎた事の運びは、2人が交互に淡々と教えてくれた。2人には、竜人のシステム手帳のカレンダーに「食事 w/」と書き入れられた最後の予定にあった名をアドレス欄から探したという竜人の母親から、連絡があったそうだ。

警察ではすぐ自殺と断定され、事件性もないと、竜人の体は翌々日には実家に帰ってきたらしい。自殺だけに、葬儀は家族だけの密葬ですぐに執り行なわれたのだとか。2人は竜人の両親から、竜人が案じていたことはなかったかと尋ねられたが、とても真実を言うのは憚られ、ずっと実家暮らしのバイトの身でいいんだろうかと身の振り方をここ数ヶ月思い悩んでいたようだ、と、その場しのぎではあるが、某かの理由がほしい両親にはお誂え向きの、飲み込みやすい嘘を渡した。そして、身の回り品の整理を手伝うと申し出、両親が見たくないであろう物は秘密裡に処理したと。

「実は、悠一さんに逢えたら見てもらおうと思って、竜人の手帳、持ってきてあるんです。」

元恋人は、あの茶色い革表紙のシステム手帳を鞄から取り出して、俺に手渡した。背表紙の真ん中の色が濃くなり、竜人の手の形に沿って柔らかくなったカバーの留め具を外し、中を開く。あの初めての冬の日を予定表から探した。「悠一!!☆」と書かれてあった。続く日々。
「19:00 日比谷 W/悠一」
「21:00 新宿 ユウ」
「夜電話すること! ユウ」
俺との予定は、赤で書かれてあった。しかし、あの日の予定には、この目の前の2人との食事以外、記載がなかった。Chic [I Want Your Love]が緑のライトとともに頭に降ってくる。

「検査、受けてみた方がいいと思います。僕は、来週結果が出ます」

と、元恋人は、返した手帳を鞄にしまうと、そう俺に勧めた。俺の頭がグラグラしたのは、妙に回転の早いミラーボールと、立て続けにあおったウォッカトニックのせいだけではないはずだ。

俺は、フロアーの奥の階段を下りて、洗面所に立った。小便をし、手を洗う。顔を上げ鏡を見やると、男のことしか頭にない空疎な顔が、無駄に鍛えた体に乗っかって、卑怯な目で助けを乞うていた。お前は、ルックスが良ければこの世界は何とでもなるとでも思っているのか? ドアの向こうからくぐもった音で流れてくるDiana Ross [Upside Down]。

換気扇越しに、救急車の音も聞こえる。頭が、本当にグラグラしてきた。

(完)