小説『クラブロンリー』第5章[QUICK 5階]

小説『クラブロンリー』第4章[竜人]から続く

政次をそのままにして、俺は5階に上ることにした。この時間ではまだ本格的には始まっていないはずだ。Ten Cityのライブは2時からの予定だし、5階を一回りする位の時間はあるはずだ。
5階は4階からの吹き抜けで、中央にフロアーはない。4階へ貫かれる柱と、ぐるりと周りを囲む回廊だけが5階の構造物だ。照明はない。5階の天井から吊り下げられている照明の光は、ひたすら4階を目指す。その反射だけが、時折届いてくる。

ここには基本「本気」の者しか来ない。冷やかしを寄せつけないシリアスなムードがある。10数メートルおきに黒いビニールレザー張りのベンチが冷たく横たわる。もし音楽がなかったら、ひたひたと歩く者達の足音が、この無機質な場内に響くことだろう。

何故か、5階に来ると皆、右回りに回廊を歩く。俺もそれにならう。1つ目のベンチには人がおらず、いくつかをまた通り過ぎて、コーナーのベンチを見ると、人がいる。寝そべった男の膝元に、もう1人がしゃがみ込んでいて、規則的に頭を前後に動かしている。通り過ぎざまに見ると、寝そべった男はくるぶしまでパンツを下ろしている。腿の毛深さに、俺の血流が変化する。股間を見やるが、膝まづいた男の頭でそれは見えない。4階のスモークが、人の熱気に乗せられてゆっくり立ち上ってくる。俺は通り過ぎる。数メートルして振り返ると、寝そべっていた男が立ち上がり、膝立ちになった男の頭に手を添えて、本格的にビートを刻むのが、シルエットで見えた。階下で鳴るのはAdeva [Respect]。

そのコーナーを過ぎ、階段の反対側に該る通路には、間隔を置いて何人かが立っている。時々二丁目の通りで見かける男もいた。いつも人とつるんではしゃべり続けている社交家で、米屋の角によく立っているので『ヨネコ』とあだ名されているのだが、さすがにこの空間で社交モードを展開する気はないらしく、品定めされつつ寡黙に今夜のラインナップチェックに勤しんでいる。まだこの時間だと、さっきのコーナーベンチのニ人のようなあからさまな行動に出る者は、ほとんどいない。

また別のコーナーを曲がる。四角い周りの最後の一辺は、4階のダンスフロアーとちょうど対角にあり、光が一番届きにくい。バーコーナーのざわめきを下に感じながら歩き進み、最後のベンチにさし掛かると、ラバースーツが横たわっていた。頭もラバーマスクで覆っていてあまりに闇と同化しているので、ほんの数歩先に来るまで、そのテラテラした反射に気が付かなかった。Uの字に走る股間のジッパーは全開で、そこだけがくり抜かれているように見える。ペニスには紐が括りつけられ、たるみなくピンと張られたそのもう一端は、ベンチの脚に結ばれていた。もちろん引っ張って弄んでくれということだ。後ろから回遊してくる他の男が来ていないのを確かめて、俺は紐をクイと引っ張ってやった。うめき声が、全頭マスクの奥から漏れる。何度かまた紐を弾いて少し気分を出させてやったところで、後にすることにした。こういう奴はできるだけ多くの通行人に触れられたいのだから、こんな早い時間からいじりすぎてやっては可哀想だ。

階段室へと続く辺に戻ってき、蛍光灯の白々しい灯りに身を晒す。と、政次がさっきのメッシュTシャツと一緒に階段を上がってくるのと出くわした。
「人いる?」
「まだ、そんなに」
「ちょっと行ってくるわ」
政次はメッシュTシャツに手を引かれて、回廊へと消えて行った。政次が何をするのかには興味があったが、メッシュTシャツは俺にからきし興味がないようなので、邪魔をするのはやめておく。無粋はクラブでは禁忌だ。それに、もうじきライブが始まる。

4階はかなり混んでいて、踊るというより人の間で身を揺らすスペースだけしか許されていなかった。サンプルボイスに合わせてまばゆいレッドライトが交錯するが、それはフロアーにまで届かず、人の頭を撫でてゆく。

Masters At Work feat. India [I Can’t Get No Sleep]が最後の一ビートまでかけられ、音が中断すると、一際の歓声が上がる。

俺はフロアーの角に臨時にしつらえられたステージの、最前部に陣取っていた。カーテンが引かれ、Ten Cityが登場する。1曲目は[Devotion]。哀愁を帯びたByron Stingilyのハイトーンボイスと共に、オーディエンスの頭を黄色のライトが舐めては走り去る。ハウストラックのライブゆえ、バックトラックは演奏でなくすべて録音で、ライブといってもいわばカラオケだが、それでもMYKONOS LOFTで幾度も聴いては踊っていた曲を生声で聴ける幸運に、俺は酔いしれた。

1曲目が終わり、間髪入れず2曲目には[You Make Me Feel (Mighty Real)]。Sylvesterのカバーだ。

Byron Stingilyと同じくハイトーンがセクシーだったSylvesterがそのまま降臨したようで、場内は盛り上がる。と同時に、Sylvesterは数年前にエイズで他界したらしいことを思い出し、誰もがこの破天荒なこの時代を楽しんでいるように見えて、皆があの病気の影に怯えているニ律背反を思う。しかしあくまで音楽はハイテンションだ。クラブを席巻し、そんな不安を圧倒している。

続いて[That’s The Way Love Is]。踊っていた俺の目の前にByron Stingilyが来ると、俺の手を取って、ステージに引っ張り上げた。こういう時の俺はやけに度胸が据わっている。クラブはいわば存在価値を競う場でもある。アピールには絶好の機会だ。俺はオーディエンスを睥睨すると、32小節ほど踊ってみせた。

3曲のミニライブが終わる。歓声と拍手に見送られてTen Cityが袖に消えるのと同時に、Rozalla [Everybody’s Free (To Feel Good)]がプライムタイムの始まりを告げる。32小節の思い出を抱いて、俺はまた一人のクラバーに戻る。

ライブパフォーマンスが終わって、一部の客はバーカウンターへと下がっていったが、ダンスフロアーはそれでもまだ混み合っている。隣とは触れ合わざるを得ない状況だ。俺と接している男達も、肉体の林の構成要素として悪くない。しかし、絡みたいと思うのと、音楽と、どちらが俺を今ドライブするのかといえば、後者だ。俺はこの時間、音楽の使徒になることを誓う。

2時から3時は俺の一番好きな時間だ。X-Press 2 [London X-Press]のサイレン。CLS [Can You Feel It]の調性を失わせたダブ。

この時間帯にはシリアスダンサー達がフロアーに集うのもまた、気分を高揚させる。ポーズを炸裂させるヴォーガー。軋むレザーハーネスによる体の拘束をものともせず、硬いソールの編み上げブーツでステップを刻む者。一心に踊るクラバー達は、それぞれの踊りミッションとして敬虔に積み重ねる。照明は幽き青が時折差す程度にまですっかり控えめになった。クラブの照明は、闇を表現するためにある。暗い空間に生まれるエネルギーの爆発をクラバーに感じさせるためには、照らすだけが能ではない。QUICKのライティング技術者は、そのことを心得ている。

俺は音楽の徒となりながらも、気になっていることがあった。竜人の姿がまだ見えない。コアタイムには必ずここにいるはずなのに。竜人が入口でケイジの目に止まらない訳がない。
竜人を探しに、3階に下りてみることにした。政次はまだ5階でよろしくやっているだろうから、一人で行く。下りる前に4階のバーコーナーも見たが、竜人はいない。

3階に下りて来た途端、Luther Vandross & Janet Jackson with BBD & Ralph Tresvant [The Best Things In Life Are Free]に、思わず足を止める。ではなく、足が動く。

次にBizarre Inc [I’m Gonna Get You]。おいしいとこ取りだ。

体を揺らしながらチェックするが、やはりいない。

第6章[竜人]に続く

 

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