映画レビュー チョコレートドーナツ (Any Day Now)



殿堂入り作品

結論から言うと、素晴らしい。素晴らしすぎる。演技、脚本、訴えている内容、すべてが揃っている。すべての人に見てほしい映画。

だが、テーマは重い。薬物依存でかつ育児放棄の母親のもとにいたダウン症の子供を隣人のドラァグクイーンがそのパートナーと引き取る映画なのだが、時代は70年代。ストーンウォールの騒動から約10年を過ぎても世間の偏見や差別は著しく、性的指向が職場に知れただけで解雇されてしまうような時代。
そんな背景と筋運びだから、当然ハッピーエンデイングではないと聞かされていて、劇場に赴く足は重かった。劇場はすすり泣きがあちこちで聞かれたという前評判が、なおさら気分を重くさせていた。そして案の定、観た後は打ちのめされてしまったのだが、それでも観てよかった。

主人公とそのパートナー、両方共が最初は感情移入しにくいキャラクターで描かれている。Alan Cumming演じるルディは劇場的性格のクイーン(トニー賞 ミュージカル主演男優賞のCumming、音楽のパフォーマンスにはさすがに説得力がある)、Garret Dillahunt演じるパートナーのポールは(異性との)離婚歴ありのキャリア志向クローゼット。これはどう解釈していこうかと最初は思うが、どんどん惹き込まれて、後半には応援したい気持ちでいっぱいになる。

ダウン症のIsaac Layva演じるマルコは、正直、映画を観るまでは観ることを躊躇させる一番の要因だった。彼なしには映画が成り立たないにもかかわらず。障害児が過酷な環境で虐げられられているところにもってきて、さらにゲイカップルに引き取られることで生じる社会的困難の中で描き出されるのかと考えると、それをどう堪えることができるのか分からなかったからだ。
この辺のことを観客はもうストーリーの勢いに任せて受け入れるしかないのだが、ハッピーエンデイングではないにしろ(この『ハッピーエンデイング』という言葉、ここで繰り返し使っているが、これは一つのキーだ)、この物語が何も生み出さなかった無常と無念を描くことが目的ではなく、憤りと悲しみだけを観客に植えつけることが目的でもないことに救いがある。ともかくも、観て、感じるのが良い映画。(2014/5/6 記)