映画レビュー 伯林漂流 (Berlin Drifters)


伯林漂流 (Berlin Drifters)

(★★☆☆☆ 星2つ)

ベルリンに住む日本人コーイチのもとに日本人リョータがひょんなことから転がり込む。コーイチとリョータは関係を持つが、リョータは来る日も他人と出会い(=セックス)を繰り返し…というプロット。

芸術的アプローチでもって売り出された感があったので、この映画に芸術的要素を多少なりとも期待して見たのだが、裏切られた。一見、芸術映画はポルノであってはいけないのか、逆にポルノは芸術映画たり得ないのか、との臨界点を探ったかのように思えるが、結論から言うとポルノ映画でしかない。ポスターにはデカデカとWhat’s PORN?と書かれているが、ポルノはポルノだ。ポルノは世にあっていいと思うし、芸術映画が常にポルノ映画よりも存在価値が上だとはさらさら思わないが、ポルノが芸術に擦り寄ろうとすると、それは芸術映画への卑屈な媚にしかならない。ポルノとして見た人は正解だったかもしれないが、そうすると冗長なセリフに興が殺がれるだろう。

したがって、演者には演技力よりも、いかに作中でセックスを実演できるかどうかの能力の方が重要なようだ。その点では、リョータ役の馬嶋亮太は適任。相手の人種を問わず完璧な実演を見せる。が、反面、あまりにも演技が酷い。セリフの棒読みは、いくらセックスのための配役でもどうにかなっただろうに、という木偶の坊。逆に演技がもう少しでも小マシであったなら、この映画はポルノ映画ではなくなったかもしれない。セックス描写を重ねるうちにセックスが露出過多により意味を失ってゆくハレーション効果は、作中意図かと途中思わせるところがあるからだ。が、結局エンディングに近いタイムラインにおいてセックスで人との結びつきを表現しようとして、そのハレーション効果は縮減されてしまっている。

今泉浩一監督自ら演じるコーイチはというと、これもまた無表情一徹。虚無感の中の外国暮らしで漂流感を表している、というよりも、見て取れるのは表現の浅さ。虚無の表現にタバコという表現もチープで古典的すぎる。

ところで、この映画は御大某先生が脚本らしく、まるでゲイコミュニティではこれに対しての批判は許されないような雰囲気だが、プロットも物足りない。ネタバレは書かないが、結局落とし所はそれ?という不甲斐ない流れ。そしてHIVについての描写は、なぜそんな添え物的要素としてそれを加えたのかと思う。

ついでに個人的な事情を書いておくと、この作品に登場する何人かは直接言葉をかわしたことのある人。ああ、あの人はあそこのつながりで引っ張ってきたのだな、というのが見えすぎて、身内で盛ったお手盛り感がまた作品を好意的に評価しづらくなってしまった点もある。が、その事情を差っ引いてみたとしても、やはり雲翔 (Scud)監督のゲイ映画などと比べると、一段、二段、落ちるなあと思わざるを得なかった。本来なら星1つ、といいたいところだが、ポルノにしろ何にしろ物を創るということは大変なことだ。そこに敬意を表して星2つ。(2019/6/15 記)