ブックレビュー 幸田 文


流れる


(★★★★★ 星5つ)

幸田の姓でピンときた人はなかなかインテリ。幸田文は幸田露伴の次女。俺は露伴には興味がなくて、日本史で出てくる文筆家、くらいの認識しかない。この作品も露伴の次女だから読もうと思ったわけではなく、本屋の本棚を見て何となく目に留まり、背表紙にある筋の紹介文を見て興味を持ったからに過ぎない。

なのだが、非常に面白かった。元はいい家の出だった寡婦が、流れ流れて芸者の置屋に女中仕えすることになり、「くろうと」の世界の実情をつぶさに知るのだが、時代が昭和文明のモダン化にさしかかる所で、古風な世界に突然カタカナ語が出てきたり、露伴の文学の時代には考えも及ばなかった(当時の)流行りの言い回しが差し挟まれたりしていて、言葉の意外に興味をそそられた。

また、オリジナルなのかその時代だけで今に継承されなかったのかは分からないが、擬態語・擬声語が情景を実にリアルに描写していて、またテンポよく楽しい。
テンポの良さと言えば、置屋の情景を登場人物のセリフと共につぶさに書いてはいても、計算された省略法がまたいい。例えば、主語を省いてただ「ガラッと開く。」とあれば、誰もが玄関の引き戸を思い浮かべるわけだから、何も「玄関の戸がガラッと開く。」と書かずともいいのだ。実に潔い。

そして、主人公の詳しい身の上は最後まで明らかにされない。遠く過去をふと思い出す描写に、わずかに何故主人公が才気を身につけているのかが推察されるだけで、その抑制が下世話さから全体を救っている。どう世俗に下ろそうとも、生来の品の良さが影響を及ぼしている文章で、かつ洒脱。自分独自の世界を見事に作り出している。

もっと評価されてもいい人だと思う。