ダークサイド I-5 依存と呪縛から離れる


『ダークサイド I-4 闘いの始まり』からの続き)

 共依存

司法試験の勉強は続けていた。自分は結局、何だかんだと偉そうなことを言いながらも、親に食わせてもらっている半人前の人間にしか過ぎなかった。親に依存していたのだ。
東京から連れ戻されるとき、親との関係を絶ち切って、飲み屋のバイトでも何でもして自分で生きることもできたはずだ。しかし、どこかでそれをできないと思い込んでいて、そこには生活レベルが下がるのは嫌だという甘えの気分もあった。だから、そんな居心地の悪い家に戻って籠の鳥となることを選んだのだ。

自分らしく自己の存立に自信を持っていながらも、ちっとも自立していないという自己矛盾を犯していた。法曹になるという目的も、自己実現とか社会貢献とかそういったビジョンはなく、ただ金とステイタスを得るがためだけのことで、自分をすっかり見失っていた。しかし、自分を見失いながら、これは自分のあるべき姿ではない、何かがおかしいと、頭のどこかで思い、そこから抜け出すことに四苦八苦していた。

一方、両親にとっては、自分が司法試験に合格することは、見栄と経済を立て直す起死回生の方策だった。そして子供を目の届くところに置いてコントロールすることは、自分達にとって当然のことだったから、俺を手元において置きながら、子供が自分達の望む姿に育っていないことに苛立っていた。
『カッコーの巣の上で』という映画があるが、俺は自分をカッコーだと考えていた。どこか間違ったところに産み落とされて、餌をもらって育ったら親とは違う種となって飛び立つのだと。親に「自分はカッコーだ」と実際に言ったことがある。親は冷笑で俺に対抗したが、彼らのプライドに楔を打ち込むことには成功したように思える。

巣を出る

法曹になるというのがただ金とステイタスのためだけという状態では、よほどそれに執着がない限り、当時の苛烈な試験に合格できるはずがなかった。当時、司法試験の合格率は2%台、それも法律で飯を食っていくと腹をくくって人生を賭けている人達同士の競走の中でその数字だったのだから、気力だの、あとちょっとをやるかやらないかで、結果は大きく違う状況下であり、当たり前だ。

くわえて、自分の中で父を見ていて、その後を追うのがよいこととは思えなくなっていた。家では普通のしゃべり口だが、仕事の電話をしている時にヤクザまがいの威迫を行っているのを耳にしたことがたびたびあった。
そして、人間的にもどうかと思うような行動があった。この大阪暗黒時代に阪神淡路大震災があり、大阪の北部にあった家も当然揺れたが、鉄筋コンクリート造りであったため被害はなかった。そんな時に父が、神戸を見に行くと言うのだ。物見遊山で。人の不幸を不幸とも思わず自分の興味関心の対象としてしか捉えていないそれにもちろん猛反対したが、父は結局見に行った。そしてそのことをいかにも興味深げに夕食時に食卓で語った。人間的になっていないなと思った。

そのこともあって、そんな人と同じ職業は嫌だなと決定的に思った。訴訟をネタにメシを食う弁護士は、最大限よく見ても、不当を訴えてマイナスをゼロに戻すための稼業で、物を生み出すわけでもないと見えたのだ。無論、社会正義の実現のために頑張っている尊い志を持った弁護士はいたのだろうけれども、自分の目の前の弁護士とはそういう存在だった。

自分は何かを作り出したいし、自分が感じていることを表現する方法で何かをしたいと思った。そして、ゲイ雑誌の小説募集広告を見て、某か自分の自分の道を拓くものになるのではないかと思い、小説を書いた。

小説は入選し、月刊誌に掲載されたあと、年間でも賞をもらった。ちょうどその雑誌が編集者を求めていたので、応募し、雇われることになって、家を出た。親は、その時点で少なくとも物理的・経済的なコントロールは諦めたようだった。しかし長年に渡って拘泥してきたことを、「そうします」「はいそうですか」で諦めてくれるわけではもちろんない。より正確には、自分達の生活を立て直そうとすることにアップアップしていて、子供をコントロールすることよりも自分達の方がより重要になった、と見た方がよいと思う。

俺は東京に戻って、仕事を始めることにした。一人暮らし用の家具だの電化製品だのは、学生時代の物があったので、ワンルームマンションを借りる初期費用だけ出してもらった。試験を辞めてから東京に戻る間にも、鬱陶しいことはいろいろあった。が、自分の力で自分の人生を取り戻すのは大切なことだから、そのための努力は甘受した。自分もさんざん、甘いところがあったのだから。

帰京

東京は、圧倒的に自分の水に合った。実は、大阪にいる間に苦痛だったのは、親との関係だけではなく、当時の大阪の習俗や風土が自分に合わなかったというのも大きい。
しかし、帰ってきた東京は、それまでの東京ではなかった。仕事をしているということはもちろん大きな変化ではあったが、東京を出る前から付き合っていて、遠距離恋愛の関係にあった男性にも変化があった。
前々から少し変だと思うことはあった。その様子は友人から少しずつ漏れ伝わってきてはいて、仕事を辞めてアルコール依存気味だと聞いていた。そのうち、セクフレを作って、俺の友人宅にセクフレと泊めてくれと頼んだとか(無論俺の友達は断った)、DJの真似事をしていて職もないのにレコードの買いすぎでカード破産気味だということが明らかになって、俺は最後の情けにレコード代は払ってやってから、彼と別れた。彼はすでにダメすぎるほどにダメになっていたが、何とか俺の前では良い人の対面を取り繕おうとしていたのは、俺への愛情の残り火だったのだろうか。

結局、5年超の付き合いに始末をつけて、自分は身ひとりになったところで、倫理観から抑えていた性欲と「何者でもない自分は果たして誰かに受け入れられ求められるのか?」という疑問が結びついて、セックス依存になった。

『ダークサイド I-6 「家族」の終わり』へ続く→