ダークサイド I-7 ゲーム・オーバー


『ダークサイド I-6 「家族」の終わり』からの続き)

父の逮捕

事件は、俺がTとの同居を始めるために引っ越す前、友人達とルームシェアしていたマンションに住んでいる時に起こった。父は何やら金策のためにゴタゴタ怪しいことをしているなとは思っていたが、逮捕されたのだ。
依頼人からの供託金やら何やらを着服・横領し、事件の着手金を取りながら裁判の手続きを開始しないなどしていた。逮捕の容疑となった事件の横領の金額だけで、既に億単位だった。関西ではテレビや新聞にも出たらしかった。
当時はまだインターネットも今のように速報性がなく、一部それを趣味とする趣味の人が自分のホームページを細々作っているような時代。ブログもなく、SNSももちろんなく、ニュースサイトも貧弱な時だったから、今、父の事件を検索しようとしても、ほとんど出てこない。

弁護士は、その時代にはまだ今のようなグレーゾーン金利の過払い請求代理人ではなく、社会正義の実現者と思われていたので、非難はかなり大きかった。すわ自分の携帯やひょっとしたらこちらの家にも何かマスコミからのコンタクトがあるかと危ぶまれたが、幸いそれはなかった。
父の逮捕と、大阪の家が銀行に差し押さえられることになったのとは、どちらが先だったか、先後関係が記憶の中で曖昧になってい。るが、いずれにせよ、母と妹は大阪の家に住んでいられる状況ではなくなった。母と妹は東京に移り住み、都内で2人暮らしを始めた。

母と妹

母は相変わらずそれでも子供に対してのコントロール欲を失っておらず、妹にはかなりのストレスを与え続けていた。母の無神経とも言える強気は、その後数度のライフイベントごとにインパクトを受けても、なかなか弱まらないのだった。

父は逮捕後ほどなくして、どうやってかき集めたのか知らないが、保釈金を支払い、外に出て、兵庫県芦屋市で一人暮らしを始めた。職業はよく分からなかったが、三百代言※1すれすれのことをやって稼いでいたのではないかと思う。
これを読む人のなかには「そうなる前に借金で首が回らなくなったら、自己破産でもすればいいのに」と思うかもしれないが、それは父にはできなかった。何故なら、破産者となることは弁護士の欠格事由に該当し、職業自体を失う※2からだ。尤も、そんな前提となる条件があってもなくても、常軌を逸していた父は、意地でも破産などしなかっただろう。

別姓

離婚により、母は旧姓に復氏して、父と違う姓になっていた。もともと、彼女の家と父の家との格の違いをさんざん口にし、父親の姓を名乗るのは屈辱、とまで言ったことのある母だったが、(それは俺が小学生くらいからたびたび耳にしていた言葉だった。よくそんな言葉を妻に吐かせておいて父は怒らなかったものだと思う)そんな形で離婚し復氏するのは自身にとって意外なことだったのか、夫婦の情はまだあったのか、離婚は本意でないという趣旨のことを話していた。
しかしその一方で、経済的破綻を防ごうと実家に金を無心してはその金を無駄に投下した母は、「さんざん私の家の金を使っておいて」という言葉を吐くことを忘れなかった。母は、人を責めることしか知らない女だった。

妹は、今後法曹を目指すのに汚名となった父の姓を名乗っているのは不利だとの判断で、母方の祖母の養子になり、姓を母と同一とした。数年後、妹は結婚し、結局はまた違う夫の姓となるのだが、父の逮捕前の離婚で形式上、この一家はなくなった。


※1 三百代言:訴訟事などを取り仕切ろうとする資格のない代弁人のこと。弁護士でない者が有償で訴訟事件等を扱うことは、弁護士法で禁止されている。
弁護士法第七十二条 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。

※2 同第七条 次に掲げる者は、第四条、第五条及び前条の規定にかかわらず、弁護士となる資格を有しない。
一 禁錮以上の刑に処せられた者
二 弾劾裁判所の罷免の裁判を受けた者
三 懲戒の処分により、弁護士若しくは外国法事務弁護士であつて除名され、弁理士であつて業務を禁止され、公認会計士であつて登録を抹消され、税理士であつて業務を禁止され、又は公務員であつて免職され、その処分を受けた日から三年を経過しない者
四 成年被後見人又は被保佐人
五 破産者であつて復権を得ない者

『ダークサイド I-8 暗闘の果て』へ続く→