ダークサイド I-1 Born To Be Lonely


(『ダークサイド I-0 The Beginning』からの続き)

俺の出生から小学校低学年頃まで

妊娠期から母はストレス状態にあった。父は司法試験に合格し、司法修習生となり、エリートたる自分の前途に嬉々としていて、母曰く「ほとんど家庭を省みず、外出が続いていた」。母は産前産後を除いて建築学の講師として専門学校へ教えに行っていた。
俺を出産して3年後には第2子として妹が生まれ、家に入ることになる。しかし母は、家に入っている時期を、「自分のキャリアを諦めさせられたのにあの人(父)は外を飛び回っている」という恨みの気持ちで過ごしていて、「進んで」とか「納得づくで」という状態ではなかった。

母が家にそうして入ってからは、母にとって子供達は、自分のキャリアを奪ったお荷物として疎ましい存在でありながら、腹を痛めた子としての情もある複雑な存在だった。そして、母性として感じる情はありつつも、親としての子のしつけと教育という責務も果たさねばならない。
結果として、子供は、親子の情・自分のライフスタイルを貫徹し得なかった素因であるという怒り・夫は何もしてくれないというパートナーへの不満・子育ての思想信条、といったファクターが複雑に絡み合った、あるいは混ざり合った結果として接する対象となった。自分の怒りと恨みつらみを子のしつけと教育という名目で子供達に注ぐこととなったのだ。

それが矛盾であるということを、母は認識していただろう。そのジレンマは、複雑な化合物となった。しかし、矛盾はどうやったら解決するのかを、母は自分自身に問うことをしなかった。その代わり、事態の変容を子供達に求めた。子は自分にとって正しい存在であり、自分の正しい姿が投影されていなければならなかったのだ。

子育ての厳粛

子育ては、子育てとしてのポリシーの実践の体裁を取りながら、自分の欲求不満の捌け口を我々子供達に向ける行為がそこに混ざった。昼過ぎから父が帰ってこない前の夕食の準備の時間に、よくそれは発現した。母が昼寝をしている時には、静かにしていなければならず、子供達が鼻をすすることも禁じられ、少しでもうるさくすると、子供達はスリッパでひっぱたかれた。母親が眉間にしわを寄せて昼寝を始めると、子供達には緊張が走った。

夕食の準備時にわがままでも言おうものなら、家の外に追い出された。追い出されるのは、兄妹のうち、圧倒的に俺だった。それは力づくで、冷蔵庫やら戸口やらにしがみつく俺の手を引き剥がして、廊下を引きずり、文字通り外に「放り出し」た。
時には見かねて向かいの家のおばさんが、自分の家の玄関口に俺を入れてくれることもあった。俺はよく、その玄関のたたきに座って、飼われている金魚を眺めたり、鳥を見たりして過ごしたものだ。鳥のなかの一羽は、小鳥の時から育てられていて、自分を人間だと思っているらしく、おばさんが籠から外に出すと、飛ばずにおばさんの肩まで歩いてよじ登っていた。
あまりによく追い出されるので、俺は最初は小さかった金魚が、だんだん成長していって大人のこぶし大くらいにまで成長したのを見とどけるほどだった。「金魚が大きくなったなあ」と思ったものだ。

食事の時間は、厳粛な教育の時間だった。それは食育の場であり、マナーを習得させる時間であり、食事中に話をするのは自由で、会話自体はよく交わされたが、それは「教養を高めるため」であり、会話というよりも、ディスカッション能力を鍛えるものだった。
マナーは厳しくしつけられ、今でもそれは自分の財産にはなっているが、実は子供に食事のマナーを厳しくしつけたのは、母にしてみると、子供にマナーを教えるという体裁を取りながら、(この表現は繰り返し出てくるが、何かの出来事や行為に仮託して別の意味のことをするというダブルミーニングが、非常に多かった。これは一つの特徴だろう)父に対してマナーを守るよう要求する意図があった。曰く、「下品だったから、子供にしつける名目で厳しく言うことで気づいてもらおうとした」。箸やカトラリーの扱いを正しくするとか、スープをすすって飲まないとしつけることは意図が分からなくもなかったが、ご飯茶碗を「糸尻を持てば熱くない」と無理やり持たされるのは、辛かった。大人には平気でも、子供の皮膚の薄い手のひらには伝導してくる熱が熱すぎて、苦痛だったからだ。そんな様子で、俺達兄妹はいつも緊張して食卓についていた。

妹のことにも少し振れておこう。「我々子どもたちは」と、上にいかにも連帯してるかのごとく書いたが、これは、単に「二人とも」という意味で、妹と俺は、年齢が上がると仲がよくなって、今ではよく分かり合っており、お互いの価値観も尊重し合えているが、小さい頃は喧嘩ばかりしていた。その様子は凄まじかったようで、俺が覚えているのは、何かの喧嘩で激怒した妹が、ヘンケルの料理鋏を俺に投げつけようとしたことだ。
幸い鋏は俺に当たらず、食器棚に鋭く突き刺さるにとどまった。母が言うには「この子達は殺し合いをするんじゃないかと思った」。恐らく、常に長男として厳しくあたられていた俺は、妹を排除することで親の愛の取り分を多く得られるのではと考えたのではないか。そして、自分が親から攻撃されることの回避として、さらに弱い妹を攻撃のターゲットにしたのではないかと思う。

攻撃。そう、子供の俺は親から受ける仕打ちを、「攻撃」という言葉を知らない時から、攻撃と感じていた。そして、身を硬くして緊張する毎日を送りながら、愛情の欠乏を感じていたのだろう、小学校に上がっても指しゃぶりが止まらなかったらしい。後に母は、「授業参観に行くと、先生の質問に答えようとあなたは指をチュウチュウ吸いながら手を挙げていた」と言っている。

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