先日、57になった。この前、同い年の中学の同級生と旅行した時に彼らともそんな話をしたのだが、色々につけ、自分が下降線を辿り始めたと感じる。
まず、容色衰えるとは言うが、何とはなく(それを確かめる機会もないのだが)他人の性的興味から自分が外れているなと感じる。以前は折に触れてそうした興味を宿した他人からの視線を感じたものだ。
そして、写真を撮ったり撮られたりする度に、残酷な写り方に落胆する。それは現実でしかないのだが。自分ではまだ撮り直しが利くし、加工もある程度ならできる。しかし他人が写す写真は残酷だ。自分が見え方を意識していない時の自分、つまり取り繕いようのない素の姿が写る。
それについて「まあそんなもん」とそこでたかを括ってしまうことが、俺にはまだできない。幾らかの自負というか、人後に落ちなかった自分が、まだここにいるように感じるのだ。そんな訳で、学生時代に始めたジム通いも未だ続けてはいるが、体型の成長はこれ以上ないにしても、現状維持または衰えのスピードを鈍化させることは、健康維持とともに意識していかねばならないと思う。
先に触れた中学の同級生と、定年云々の話になった。世代としてそんな話が出てくること自体が、自分にとってはいくらか衝撃的ではあるのだが、もちろん年齢的なことを考えると当然出てくる話ではある。旅行で話した時以外にも、俺を含め3人で、LINEでやり取りしているのだが、そのうちの1人は、60歳が定年の会社で、65だか70だかまで嘱託で再雇用(継続)という手もあるが、もう働きたくないらしい。曰く、「もう充分働いた、そこからは趣味のことをして暮らしたい」と。娘がいて、娘は定年時には大卒、もう育ち上がっているし、自身は自転車に乗ったりバイクに乗ったり、登山をするなど、自分で楽しめる趣味をいくつか持っていて、そうしたことに時間を割きたいと。
もう1人の友人は、やはり娘達が育ち、あとは彼女らが結婚するかどうかという時点に来ている。そして自身では、今までの家とは別に「男の秘密基地」のような所を作り、自分の時間を過ごしたいと、古家を買ってリフォームしている。その辺の感覚は若いというか、行動的で、自分の生活を楽しみたい意欲があっていいと思う。
では俺はといえば、目下の一番の即物的関心事は、来春に控えた新築マンションへの住み替え。家の中のしつらえをどうするか、固定的な造作の話をリフォーム会社やオーダー家具の会社と進めるとともに、買い足す家具やら照明やらに妄想を膨らませている。
一方で、仕事については、会社(パートナーが経営陣のコアとして動かしている会社)の一角で仕事を担っているとはいえ、会社は若い労働力の導入と経営変革による拡大を図るなか、俺の荷を軽くしようとしているのではと感じるところがある。俺のスキルやワークスタイル、知見等についてのプライドを考慮してメンツを潰さないように配慮しつつだ。タイムラインで考えるとそうした軟化を徐々に行っていくのが、会社の機動性や将来性を考えると妥当なのだと思う。俺としては仕事に手を抜くつもりはなく、精力的に動く時は動くにしろ、そうした配慮にうまく乗って、スローダウンしていくのが、今後を考えると良いのではないかと思う。
何にしろ、今は中途半端なのではないかと思う。老齢を盾にして閑居を決め込むではなく、かといってガツガツ上昇志向で行くでもなく。焦らず腐らず、現状を現状として認めつつ、新しい体験には心を開いて暮らしていくのが良いのかと思っている。白髪は増えたものの、せめて晴れやかな顔をさせてくれるパートナーのはからいに感謝しつつ、写真を記録として載せておく。