快晴の南紀白浜。
旅行・外出

南紀白浜一泊旅行


毎年一回、中学時代の同級生KとTと俺の3人で、何もせずただ集まって泊まる旅行をしている。Kは関西、Tは中部、俺は東京と住んでいる地方も違うので、旅行先をどこにするかは毎年悩みどころ。今年は南紀白浜に行くことにした。

コロナ禍では中止していたし、行かない年もあったが、コロナ前年とコロナ中に俺が癌に罹患したこともあり、会える時には会うようにしようと、年一の旅行に行くようになった。旅行の手配はめんどくさいものだが、ささっとKT両名がやってくれてありがたい。めんどくさいことはめんどくさいと言い合える仲なのだが、文句の一つも言わず予約するようになったのは、俺が癌になった時の衝撃が契機になって、行ける時にさっと企画して行こう、旅行に行けることは幸せなこと、と思い至ったかららしい。再発癌の治療以来、俺は健康を維持しているので、普通に行動できるが、今回は厚意に甘えた。

1日目

羽田から南紀白浜空港まで、フライト時間は僅か45分。搭乗口にいるのは8割方日本人だが、外国人ももちろんいる。南紀白浜は熊野古道へのアクセスもあるので、いわゆるdeeper experienceが旅行体験としての流行りである今、そうした古式ゆかしき日本の体験をするには良い行き先だと思う。機材到着遅れや搭乗員名簿の確認やらで1時間以上遅れて出発。

南紀白浜空港まではKの車で迎えに来てもらい、まずホテルに向かう。

道すがら見えた円月島。円形の穴に夕陽が沈むときれいだとか。
道すがら見えた円月島。円形の穴に夕陽が沈むときれいだとか。

荷物を預け、チェックイン時間まで少し周辺の海岸を散歩した。のどかな所。連休でない土曜日で、車の行き来はそこそこ。ダイバーを乗せた船が沖合に出て行った。天気予報は当初雨で、結構激しく降ると言われていたが、薄日の射す曇り。

沖合のダイビングスポットに向けて、船がダイバーを乗せて出ていった。
沖合のダイビングスポットに向けて、船がダイバーを乗せて出ていった。

客室から見渡す光景ものどか。去年行った鳥羽ものどかだったが、保養地らしいゆったりした感じがし、あたたかみがある。実際気温はこの時期としては例外的に高く、ジーンズでは少々暑いほど。

ホテルの客室から眺めた景色。向こうに見える白砂のビーチは白良浜。

夕食は海産物の名産地らしく、魚介を中心とした和食。やはり近港で水揚げされた物をすぐ使えるというのは強い。

食事の一部。味も量も満足。
食事の一部。味も量も満足。

白浜はビーチと共に温泉地としても有名。ホテルには当然大浴場があって、かけ流しの温泉。いい湯だった。

その後、部屋に戻ってTと俺は少し飲み、Kは酒を飲まないのでそのままごろごろしながら、他愛もない話をする。その辺もいつもと変わらぬ様子。情報交換としての最近の身の回りの出来事ももちろん話すが、あらたまっての話ではなく、それ以外の話も交えるなかでの一トピック。これらは、会話を通じて自分と通じ合う相手であり、感性が響くかどうかを確かめるものとしてのウェイトが大きい。

そういう過ごし方をしていると、彼らと中学時代から連綿として付き合いがあることについては、人間のコアとして、属性を取っ払ったところでの結びつきなのだなと実感する。無論、人としてずっと向き合ってきた間柄だから、ちょっとした知り合い程度には話しにくい事柄も話すし、基本隠し事はない。俺がゲイであることも既に大学に入学してすぐ位の時には明かしており、周知の事実なのだが、そうした属性は一属性でしかなく、それぞれのキャリア、家庭事情、経済事情も片面であって、人間を決定づけるものではない。正に人となりをお互いが認めてそこで繋がっているからこその間柄なのだ。こういう様子を旅行で体験するというか確かめ合うと、多様性とはこういうことなのだなと思う。

そしてそうした分析すら要らず、口にすることもなく、阿吽の呼吸で受け止め発信する。それが我々3人の関係だ。

ただ、もう還暦もちらちら見えてきた年齢になると、あと何年これができるのかも分からないから、来年のことを決めようとか、他愛のない会話の中で、あと何台車を買い替えられるだろうかとか、飯も何回食えるか分からん、などという話も出てくる。まだ先を見据える段階には至っていないが、そうした変化は年齢故だなと感じる。それぞれの体の不調についての会話も。

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2 Comments on “南紀白浜一泊旅行

  1. 中学生の時の友達と旅行とは、素敵ですね。僕にも中学生の時の親しい友人が二人おりましたが、今は年賀状のやり取りだけになってしまいました。実際に会えば、会話は成立するのでしょうが、何を話そうか考えても話題が見つかりません。ずっと継続して関係を築いてきたから、三人の自然な関係が成立するのでしょうね。還暦が段々近づいて来ると終末のことが頭をよぎるのは、皆さん同じなのだなと思ってしまいました。物忘れや人の名前がなかなか出てこないなど、ある程度しょうがないものだと諦めに近いものを感じますが、同い年の人の状況を知れると少し、ほっとします。ありがとうございます。

    1. 彼らとやり取りをするのはそう頻繁ではないんですが、会ってみるとしっくりくるのは、いわゆる「細く長く」が上手く行ってるのだなという感じです。お互いの人生のアップダウンも見てきたし、属性でなくお互いが何者かを知っていることの安心感がありますね。年を経るに従って変化することも当然ありますが、これから行く末この関係がどうなっていくのか、楽しみにしたいと思います。

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