日常生活の記録 物選び・食 癌治療後は安定


前回ブログを更新してから随分経つ。日常を小出しに投稿できるツイッターでもって代用して、ついついブログを記す手が止まってしまっていた。前回のブログは後ろ向きな言い回しで終わっていたので、それからの顛末をまず記すと、抗がん剤と放射線治療を開始してから約1年で受けたCTおよび血液検査では、がんについては異常が見当たらず、健康を維持している。ただし、放射線治療の影響で、甲状腺機能低下が見られ、ホルモン剤をまずは25μg/日から服用開始することになった。これは、一度低下すると甲状腺自体は回復しないので、ずっと飲み続けることになるのだとか。たった1日1回小さな錠剤を服用するだけでも、一生、と思うと少々気が重い。ただ、それを飲みさえすればそこは補完できるとのこと。やっていくしかないだろう。

日常をほぼ取り戻してからは、生活を意識的に楽しむようにしている。俺はツイッターでしばしば手に入れた物や食べた物についてつぶやいているが、それは、この鬱積した雰囲気漂う中、自分の発することについては、その雰囲気を増長しないようにしたいと思っているからだ。世は相変わらずのコロナ禍だし(3回目のワクチン接種は滞りなく受けた)、おまけに今年2月24日に開始されたロシアのウクライナ侵攻でもって、ニュースは気が滅入る内容ばかりだ。せめて自分の身を置く環境は、快適で美しくしていたい。

ついぞレビューを書く機会を逸してしまったが、たまに、コロナに配慮して抑制気味だが、うまい食事も食べに行っている。誕生日に行った赤坂のLyra、パートナーじょにおと2人での年末お疲れ様会での表参道Benoit東京、先月はシーフードを食べに銀座KAZANへ。味覚がほぼ復帰したのは、喜ばしいことだ。

家での料理も(心身ともに余裕のある時に気ままに、だが)楽しんでいる。

買い物もちょくちょく。ツイッターでは物自慢と捉えられかねないので、メーカー名等何となくはぐらかしているのだが、ここは自分の領域、自分の記録として書いておく。日本全体が貧しくなり、疲弊してきている中、こうした物選びを生活に取り込めるのは贅沢なことだと自覚している。そしてそんな生活を楽しむことを可能にしてくれているパートナーじょにおにも、いつも感謝しきりだ。

物選びや食には美意識が出る。反対に、美意識を持たないということも露呈する。いい物や食は、作る側からしても上質の追求にはどうしても手間暇、そして費用がかかるものだが、注意深く作られた物を選ぶということは、そこに敬意を表し、理解を示すということでもある。すなわち、これも一文化だといえる。せっかくそういうところを体験できるなら、しておきたいではないか。単なる金満家やミーハーでなく、選んだ物がその人にしっくり来るかどうかは、そうしたバックボーンを自分で持っておくかどうかだと思う。そこは押さえつつ、上質な物や食事を楽しみたい。そしてその連続が日常であれば、塞ぎがちな気が晴れる時間も多くなろうというものだ。