癌の放射線治療に伴う味覚障害からの復帰記録 その5+老いについて


味覚についてはほとんど戻ってきた。が、やはり口に何も入っていない時に、嫌な味がする感覚はまだ残っている。だいぶ軽くなってはきたが。先月下旬の定期検診によると、その後の経過は良いようだ。が、味覚はほとんど戻るにしても、唾液の出にくいのは戻らないかも、とのこと。食事の時には水分が欠かせない。また、口中や喉の奥が乾いて、何か水分を口に含む必要を感じる時がしょっちゅうだ。

癌の再発前、初回に手術した部位のつっぱりや、左耳下のこわばりもある。不快で、常にそれを体感していると、時折おかしくなりそうだ。もうこの肉体感覚とは、この先ずっと付き合って行くしかないのだろうが。寝る時にも、左を下にしては寝られない。眠れるかどうかという意味では眠れるのだが、その後、不快症状が強くなるから、そうしてはいけないという意味だ。体の向きまで不自由になるとは思わなかった。あらためて、健康とは不便・不快についての無感覚をいうのだ、と思う。

食べ物が飲み込みにくく、胸でつっかえるような感じがする時がある。数日前、その感覚が強く、喉の詰まるような感じがして、鏡で口中を見てみたら、口蓋垂の横、治療をした箇所が下に下がっていて、空間があまり空いていなかった。これが治療の余波なのか、それとも…と思うが、この辺りの正確な判断は、今週火曜日に、再発癌治療完了後初のCT検査があるので、それを待たねばならない。不安でならず憂鬱で心が晴れないが、致し方ない。

なるべく、自分の中で癌を過去の事にし、日常を取り戻すように努力はしている。仕事も罹患以前のようにしているし(コロナでほとんどテレワークだが)、犬の世話、料理等々。ジムでのワークアウトも再開した。体重は元に戻りつつあるが、徐々になので、やはり焦れる気持ちはある。ワークアウトしなければと思う一方で、この所もう第5波とも言われる、コロナの感染者数激増を見ると、ジムに行く足も遠のきがちだ。
この前写真を見返していて、去年の大晦日に犬達を洗った時、風呂で撮った写真を見た。再発と思っていなかった時。そして再発癌の治療の苦しさを知らなかった時。筋肉の減る前、写真の中の俺は、笑っている。

この治療は、かなり体の負担になった。それは間違いがない。顔も老けた。もともと童顔の気がある顔としては、年齢なりになったきた、とでも理解すればいいのかもしれないが、自分の肉体が不如意になっていく様を受け入れることは、困難な作業だ。殊、それが数ヶ月で急激に起きた場合には。このところ、皮膚の状態も気になる。もともとアトピーを持っていて、常にどこか何かしら不具合ということは経験してきていたが、トラブルの度合いが酷い場合もままあり、そして薬を使っても回復が遅くなった。老いという言葉を今まで意識したことはなかった。それは日々僅かずつ自分を侵食していって、気づけば、というものかと思っていた。が、それは今はっきりと意識することができる。
そうはいっても、今の俺の体は、ある程度は回復し、がっちりしていて体を鍛えていることがひと目で分かる程度ではある。しかし、不快や苦痛や減衰は、常に自分と同居していて、その感覚は、支配的になってきている。傍から見れば、そんなことは読み取れないかもしれない。人が経験してきた途、抱えている苦痛などは、傍目から分かりはしないのだ。

しかし、「最早それまでの自分ではあり得ない」という事実は厳然としてある訳で、このところ強く感じるのは、社会の閉塞感とも相まって、自分の生がピークアウトしたという虚無感だ。ともすると、社会状況とともに、鬱屈した厭世観で心が支配されがちになる。そして、もしまた癌が再発したら、また辛い治療を受けなければならないのか?と想像すると、心がどんよりする。この世の中はそうしてまで生き続けたい世の中か?とも思う。時折、芥川龍之介の「唯ぼんやりした不安」という言葉が想起されるが、それよりは、この厭世観は色濃く垂れ込めている。すぐ生きることを諦めるという訳にもいかないが。

コロナのワクチンは1回目を打った。こうした諦めにも似た虚無感を抱えながらも、いざコロナに罹ったら場合によっては苦しかろうし、社会の構成員として公衆衛生上の責務でもあると思う。生きることに疑問を持ちながらもそんなことを考えているのが何だか奇妙だが。

まだ梅雨が明けていなかった頃、夕方出た虹。空を見ると、色々な思いが去来する。
まだ梅雨が明けていなかった頃、夕方出た虹。空を見ると、色々な思いが去来する。
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