久しぶりのブログ更新 コロナの頃

ブログの更新をぱたりと止めていたのには、新型コロナウィルスの影響がある。

このブログとこのブログの格納場所である個人サイト”Bluer Than The Bluest Blue”は、ただ流れていってしまう日常を記すことによって、それがただ流れ行くものではないものとして捉えられるのではないか、ということを一つの存立理由にしている。

新コロ(新型コロナウィルスのことを、憎々しく思っているので、軽々しくセンスのない名前で呼んでやる)で現行政権がいかに無策で、本質から外れ、無能であるかということは、誰しもが認識することになった。そして、無能無策の馴れ合い利権政治であることが明々白々であるのに、その政権を引きずり下ろすことのできないジレンマも膨れ上がった。
その結果、病気への不安、制限された日常生活への不満といったことと共に、それまで社会批判や政権の問題点を突いていた人はよりそれを激しく行うようになり、そうでなかった人も少なからずそうした発言をするようになった。俺のツイッターのタイムラインは、それらの発言によって毒々しい汚れが混ぜ込まれるようになり、見て楽しいものではなくなった。

上記の書き方でわかるとおり、俺は今の政権を全くもって支持していない。また、政治に対してそれはおかしいと批判の声を挙げることは必要かつ有用であると思っている。現に、もしそうした声を挙げなかったら、10万円の給付金は和牛お食事券にでもなっていただろう(借金まみれの国庫から1人に10万円出したらどういうことになるか、という視点から、あの10万円給付が本当によかったのかどうかはここでは置いておくとして)。そしてアベノマスクという名のゴミは、さらにまた8000万枚配布開始されていただろう(配布先が違う云々などという声があるのは百も承知だ)。

毎日が疫病報道で埋め尽くされ辟易していて、実生活でも感染対策に追われて不便を強いられているところへもってきて、さらに不満、怒り、批判といったネガティブな力を持つ言葉に晒され続けると、精神が疲弊してくる。その前からただでさえ同性婚実現が遅々として進まないことについて、個人的には分かりきった論法であり、実現された国では捨て去られた過去の議論について延々闘いが繰り広げられているのを見て、時に発言が荒れることについて食傷気味であるのに。

そこで、ツイッターでは意識的にそうしたことをつぶやかず、日頃の体験から、美しいとか楽しいとか感じられることを流すようにした。買い物、シャンパーニュ、犬、車、食事、調度品等。上記の思考過程を知らない人からは、即物的で、お気楽極楽のエピキュリアンと思われているかもしれない。これは実は、批判や不満を吐き出すことで鬱憤を晴らす人や、正義に藉口して自己アピールしていたりする人に対して「それ、人が見ていい気分になりますか?」というアンチテーゼでもあるのだが、ライフスタイルをツイッターで流すと、ライフスタイルを基にしたウェブプラットフォームであるこのサイトには、内容が重複してしまうこともあり、なかなか書くことがなくなってしまった、という訳だ。

新コロはまだまだ猛威を振るっている。感染者はまた日増しに増え、長丁場になりそうだ。ウィルスは宿主を殺して共倒れにならないようにだんだん学習していき弱毒化するのでは、とか(あまりに希望的で、仮にそうなるにしても長い年月が必要だ)、集団免疫を獲得してはどうか、とか(既にスウェーデンという失敗例がある)、楽観的とも言えるそれらの思考に頼ることはできない。となると、まだまだ見ていてげんなりするような言説にはこれからも晒され続ける訳だし、俺としては自分の身体的健康のみならず、それらに毒されないよう、精神衛生も保って生活していかねばならない。このサイトも、耕作放棄地のようにならないよう、適宜アップデートしていくことにしよう。

過日、犬達とのステイホーム。
過日、犬達とのステイホーム。

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