ジンベエを忘れない


今回は長文になるのでご了承のうえ読んでいただきたい。

その連絡が入ったのは、昼下がりだった。俺は髪を切って、家に帰ってきたところで、携帯に着信があったことに気づく。友人Tからだった。昼間に電話とは珍しい。再度の着信を取ると、涙声。ジンベエが、ジンベエが…、と。

ジンベエとは、Tの2頭目の愛犬。うちと同じフレンチブルドッグ。そもそもTと友人になったのは、Tが大のフレブル好きで、うちにもプットニョスを迎えたことがきっかけだった。時系列的には、Tの先住犬カンパチ→うちのプットニョス→Tのジンベエ→うちのノアノア、の順で飼った。そのうち4頭で散歩なんてしてみたいものだ、などと、散髪の帰りにのんきに夢想していたところだった。

が、その夢想が電話で吹き飛んだ。ジンベエが、交通事故に遭ったのだ。街道に飛び出して車にはねられ、急いで近くの動物病院に連れて行ったのだという。そして、治療の甲斐なく。

息をしなくなったジンベエを家に連れて帰ろうとするが、タクシーがつかまらなくて、とTが涙声で訴える。すぐに迎えに行くと言って、とりあえずジンベエを包むためのタオルと、運ぶためにノアノアのクレートを持って車を出した。

動物病院の駐車場に着くと、Tが脚を投げ出して地面に座っていた。腕にはジンベエが抱かれていた。それを見て、一瞬生きているのではないかと思った。車にはねられたと聞いて、外見的に辛い状態になっていることを覚悟して行ったのだが、まるできれいだったのだ。しかし、動かない。つぶらな表情もそのままなのに。まだ、温かいのに。

泣きたくなるが、一番泣きたいのは飼い主のTだ。いや、既にもう泣いて呆然とした表情でいる。こんなやるせない場面が突然来るなんて、思いもしなかった。

「ジンベエ、おうちに帰ろう?」と声をかけ、ジンベエを撫でた。ジンベエをクレートに入れて、Tを助手席に乗せ、車でT宅まで。Tにうちに入ってもらい、俺は車を置いてきて、T宅へ。T宅とうちとは、徒歩数分の距離なのだ。

T宅で一部始終を聞き、Tの体験したこと、そして心境を思うと胸がつぶれる思いがした。そして横たわるジンベエを見る。
ジンベエに会うのは、その数日前に久しぶりに会って以来だった。赤ん坊の頃、T宅に迎えられた時に会いに行って、それ以降ジンベエは、T宅と、関西に仕事で赴任中のTのパートナーIの家とを数ヶ月ごとに行き来する生活で、赤ん坊の頃にあったジンベエは、数日前にはもう大きくなっており、といってもまだ1歳半で、元気いっぱいの様子ではつらつとしていた。

1年少し前、初めて会ったジンベエを抱かせてもらった。
1年少し前、初めて会ったジンベエを抱かせてもらった。
くりくりとした瞳の愛らしいジンベエ。
くりくりとした瞳の愛らしいジンベエ。

Tと同じくらいにフレブル好きで、ジンベエのことを大好きだったじょにおに連絡を入れ、じょにおもT宅に仕事を抜けてきたが、Tにもジンベエにも言葉をかけられなかった。

一旦辞去し、夜にTを再訪した。ダイエットのために酒をしばらく飲んでいないというTだが、その夜は飲むだろうと思っていたので、うちからワインを持って行って、色んな話をした。その夜は、ジンベエの横で寝るという。悲しいワインを2人で空けて、夜中に帰宅した。

翌日にはお別れ会があった。TのパートナーIも関西から来ていた。Iの元にいた先住犬カンパチも一緒に。そしてIと共にジンベエを世話していたIの父母やお姉さんも来ていた。俺とじょにおは花を供え、焼香をした。

Iはそのことを聞いて、どこかTを責めたい気持ちがあったという。Tは憔悴しきっていて、充分すぎるほど自分を責めていたし、非難したところでジンベエは帰ってこない。むしろ、Tの味方になれるのはIなのだから、責めないでおいてほしい、と俺はIに頼んでおいた。

若く、純粋で、これからが楽しみだった命が一瞬で奪われたことは本当に悲しい。俺も、じょにおも、家にかえってしんみりした気持ちだった。じょにおの誕生日にプレゼントしたVeuve Clicquot Ponsardin La Grande Dame Brut 2004 をしみじみ飲んだ。シャンパーニュは喜怒哀楽に寄り添う酒だという。我々も、あまりに辛かった。こんな時には、よほどの力量の1本でなければ、やりすごせなかったのだ。そして、ジンベエを思い、その生命に敬意を表して。

Veuve Clicquot Ponsardin La Grande Dame Brut 2004
Veuve Clicquot Ponsardin La Grande Dame Brut 2004

久しぶりに飲むLa Grande Dameはとろりとエキスの濃い、複雑な味と香りで、泡を立ち上らせるごとに犬を思い、命を思いという時間をくれた。悲しみのシャンパーニュ。

翌日の夕方、関西に帰るというIから電話があった。Iもまた、大切な愛犬を失った身。悲しく、辛いだろうし、行き場のない気持ちをどうしたらよいかというところもあっただろう。やはり、もう少ししっかりしておいてくれたら、という話をTにしたのだという。もちろん言葉を選びながらだろうが。そしてTからの謝罪の言葉があって、Iは溜飲が下がったとも。
先住犬のカンパチは、T宅に置いていくことにしたとか。Tは独りではやりきれないだろうから、それは正解だと思う。Iは、Tをケアしてやってくれ、と俺に頼んで、関西に戻った。Iとて、もちろんTを愛していて、大切に思っているのだ。そして、Iも帰った赴任先では1人で寂しかろうに。責めたい気持ちがあると聞いた時は、そこを我慢してくれと思ったが、そのことを考えると、Iも精一杯寂しさに耐える心意気を持っている人なのだなと思った

愛に包まれた家族の一員として、ジンベエは幸せだったはずだ。きっと、虹の橋のたもとで待っている。いつか、TとIと再会する日まで。