人生の夏休み


会社勤めの最終出勤日がちょうど去年の9月11日だった。それから丸1年、気ままに過ごしてきたことになる。俺は気ぜわしいタイプで、いつも次、次、と追う気持ちがある。それにプラスして、今を楽しんでいいとか、休んでいる時は何もしなくていいとかいう状況を、どこか許されていないのではないかと罪悪感を持って考える傾向がある(それは育った環境に追うところが大きいのだろう)。

じょにおはそんな俺を分かったうえで、常に「ゆっくりして下さいね」「のんびり楽しんで下さいね」と言ってくれる。その言葉に甘えて、埋め合わせに家事をしながら、時にはそれも投げ出してのんべんだらりとした日々を過ごしてきた。

何もしない日はこんな感じの1日だ。

朝、じょにおが出勤する頃に起きて、ろくに目も開かないまま玄関で見送る。プットニョスから朝の挨拶をされて、少しぼうっとしてから朝食を摂ったら少し家事などし、その後ソファーに脚を投げ出すとそこに飛び乗ってくるプットニョスを脚の間に収めて、ツイッターなど眺めながら二度寝。

侍って寝るプットニョス。
侍って寝るプットニョス。

昼食も少し遅目に摂り、PCを開けてどうでもいいネットを眺めたり音楽を聴いたり。それに飽きたらワークアウトの準備をして、車で40分ほどかけてジムへ(会社員時代には会社帰りに立ち寄ってから帰宅していた。昔から慣れ親しんだジムでプライベートロッカーも借りていて、ジムを変えるつもりは今のところない)。

夕飯を作る時はワークアウト後にスーパーに寄って帰宅、帰宅して食材をしまったらプットニョスの散歩(真夏の場合など暑い場合は日没後か略)。少しして、じょにおの帰宅時間にちょうど出来上がるように夕飯の準備を始める。
夕飯を作る気がない時は、そのまま帰ってきて雑事などしてダラダラ、じょにおには「ごめん、今日は外食で」とメッセージ。

夕飯はメニューが重複しないように和洋中エスニック様々に作るようにはしている。
夕飯はメニューが重複しないように和洋中エスニック様々に作るようにはしている。

じょにおは大体7時半過ぎに帰宅する。人間の食事と相前後してプットニョスに夜の餌をやる。うちでの食事の場合は、洗い物はじょにお、俺は皿を拭いたりして片付けの手伝い。ひと息ついたらコーヒーを淹れて、あればデザートを食べる。少ししたらじょにおがプットニョスを夜の散歩に連れて行く。

そして風呂に入る。大抵俺はカラスの行水、じょにおはバスタブに湯を張って長風呂。気が向けば夜のワインまたはシャンパンタイムはその後に。

もちろん毎夜毎夜こんなことをしている訳ではない。
もちろん毎夜毎夜こんなことをしている訳ではない。

プットニョスを寝かせたら、じょにおは夜12時には寝てしまうタイプなので、続いてベッドへ。俺は引き続き起きていることがままある。たびたび深夜まで起きて書斎でネットをしていたり、映画鑑賞をしたり、本を読んだり。その後そっとじょにおの寝ている横に行く。

そんなこんなで、時は過ぎ。この日々は、人生の夏休み。陽は人生を明るく照らし、午睡を取るかのように思考を止め、様々に出回る果実を食すように楽しみをむさぼる。

夏休み、と書いて思い出した。ついぞ載せる機会を逸したのでついでに掲載。じょにおが休みの日に2回目の川遊びに出かけて、プットニョスが泳ぐところ。
夏休み、と書いて思い出した。ついぞ載せる機会を逸したのでついでに掲載。じょにおが休みの日に2回目の川遊びに出かけて、プットニョスが泳ぐところ。

まるでお気楽なのだが、次をすぐ考える落ち着きのない自分のこと、自らのこれからについて思うところももちろんなくはない。宿題を積み残した子供のように、いずれタスクをこなさねばならないことも常に頭にありながら、いつしか夏は過ぎてゆき。長くなったので、それについてはまたの機会にでも。