中学時代の同級生、う~たんとまーの2人と、一泊旅行に行ってきた。いつの年からか、年1回、どこかへふらりと出かけ、飯を食ってぶらぶらして帰ってくるというもので、年中行事のようになっている。去年の様子はこちら。
今年は伊勢志摩へ。海産物と真珠(真珠も海産物??)くらいしかイメージにないのだが、どうやらそのイメージそのままの土地だったよう。何もなかった。何もないというのが都会暮らしにとっては贅沢なので、それでいいのかもしれない。
俺は新幹線で名古屋まで出て、まーに車で拾ってもらい、目的地へ。う~たんは単独で直接仕事後に車で目的地へ。先にまーと俺が着いたので、周辺をうろうろする。
なんとなく寂寥感漂う漁業の町で、連休というのに人も少なかった。
この先に灯台があって、時間があるので行ってみることにした。安乗(あのり)灯台という所だ。
入場料200円を払って上に登る。
上に登っていたら、地元で幼少期からずっとすごしてきたおじいさんが色々説明をしてくれた。この灯台は、最初はもっと崖の縁の方に立っていたのだが、侵食されてきてここに建てられたのだとか。
そしてこの灯台に向かう前に資料館のある広場があって、妙に広くてなんだろうと思っていたら、そこには昔は中学校があったのだという。野球をして場外に打ってしまうと、当然ボールが海に落ちる。すると、ボールが溜まる所は決まっているので、何個か落ちたところでじゃんけんをして、負けた者が泳いで取りに行ったものなんだとか。
おじいさんは孫を連れていて、昔のことを色々話してくれた。見ると孫はおじいさんの手をいじっていて、そのおじいさんの手には昔の傷の深い縫い痕があった。いい笑顔のおじいさんで、何か映画のワンシーンのような時間だった。
さて、散策を終えて宿へ。日が暮れる頃、和歌山から単独でう~たんがやってきた。(10/9追記)
宿は昔は保養所だったところを、地元の魚の仲買人が宿として経営しているようで、建物はいかにも昭和といった感じ。食べ物に期待したところ、食べ物はさすがに海産物の名産で名高い土地、東京で食べたらいくら?という感じの物がたっぷり出てきて満足。
他にもイサキの刺身、煮魚、等々。個人的には平目がとても嬉しかった。今は平目といっても、都会では本物でなく、近縁種だったりするので、本物の立派な平目の刺身は少ないので。
食べたら、部屋に戻ってウダウダし、風呂に入って、また帰ってウダウダ、そして適当な時間に寝る。
翌朝の朝食にはまた伊勢海老が。
宿を後にして、あとは志摩半島を車でうろうろ。まず伊勢湾の入り口、大王崎に向かう。
本当に小さな所だった。漁港で、灯台に向かう道のふもとでこうして干物を売っていたり、客のいない真珠販売店があったり。なんだかここだけ時代から隔絶されているようでいて、売っている人がおばあさんばかりだったりする所に時の経過を感じた。
そして灯台へ。灯台は海上保安庁の管轄のようで、入場料は寄付金ということになっているようだ。ここでもまた200円を払って中へ。
入り組んだ形をしている湾なので、灯台は一番先端だが周りにも突き出した所があって、灯台の姿をそこから眺めることができる。
この後は賢島、浜島など車で回って、適当に昼食を摂って、車で帰途に着く。途中で、また来年と約し、う~たんは関西方面へ、俺とまーは俺を名古屋駅まで送り届けるため別方向へ。基本的に人が少ない半島だったが、帰りの途中伊勢神宮の近くを通るとそこだけは人も車も多くて、さすがに名所という感じだった。
この旅行は、何故かいつも我々だけで行き、妻子やパートナーを連れて行かない。気ままで、素のありようで、誰にも気を使うこともなく、「会ったらこれを話そう」ということも考えて行かずに、実際、中身のある会話やあらたまっての近況報告をする感じでもない。
しかし、こうしたなんでもないこととを続けると、年月の重みをどこかに感じることができる。そして人間のタイプも三人三様の俺たちが何故か付き合いが続いているということに、人のつながりとの不思議を感じる。こうしたなんでもないことにこそ、人生にとって大事な何かがあるのだろう。まー、う~たん、来年もよろしく。