豹柄の傘


今朝、会社に行く電車の中で、豹柄の傘を持っている男を見かけた。紫のVネックのニットを着て、チェーンネックレスをしていて、年の頃は少なくとも30後半を超えているが少年漫画を持っていて、まあそれ風だ。男が豹柄の傘を持っているのを見て、思い出したことがある。父の弟のことだ。

亡き父は6人兄弟で、末に1人、弟がいた。このことは過去形で書くが、それは現在を知らないからで、何かなければまだ父の弟は十分生きている年齢だ。名前はここでは仮にカケルとでもしておく。カケル叔父は、そこそこ勉強はできた人だったらしく、これまたそこそこの大学には行ったが、その後、何となくフラフラしていた。多分、適当な水商売か何かをして生きていたのだと思う。独り身で、俺が小さい時には父親の実家に帰省した時などに時々見かけたが、どこかその場にしっくりこないというか、父親の親族の中で収まりが悪そうな感じがしていた人だった。

時々、うち(当時、父が存命だった頃に俺の実家だった大阪の家)にも来たことがある。何か用事があって来たのか、父がたまには兄弟付き合いで呼んで、飯でも食わせて泊まらせてプラス小遣いの一つでもやってということで来たのか、それは知らない。

俺が高校生だった頃の、ある雨の休日。俺が出かけようと、傘やら客用のコートやらを収める用のクローゼットを開けたら、柄の細い豹柄の傘が入っていた。趣味の悪い傘だな、女の人でも来ているのかな、と思って、何気なくリビングを見たら、カケル叔父がいた。

カケル叔父は、L字型に配されたソファーの一番窓に近い端にチョコナンと座って、文庫本を読んでいた。一人だったが、膝を揃えて、脇を締めた格好で。ああ、あの傘はこの人のか、と納得が行った。昔から趣味が良くない人という印象があったのと、何とはなしに、カケル叔父は昔からゲイではないかと(という言葉は親戚も俺の両親も使わなかったが、そういう意味のことを)言われていたのとで、そう思ったのだ。

カケル叔父には、するだかしないだか分からない程度の会釈をして、俺は外出した。うちでは、妹も俺も、カケル叔父に対してよい印象を持ってはいなかった。どこかの賃貸に住んで家賃を滞納しては、父の名刺だけ部屋に残してぷいと出ていくこと数度、と聞いていた。父は賃貸の保証人になっていたことから、黙って金を払っていたようだ。フラフラと暮らしぶりが定まらず、ちょっと変わった様子のカケル叔父だったが、そんな叔父でも父は弟かわいさで、面倒を見ていたようだ。が、カケル叔父としては兄貴である俺の父に頼る一方、お互いなるべく面倒な深入りは避けたい境遇だったのだと思う。そんな訳で、向こうも俺とは顔を合わせたくなかっただろうし、俺もその場にいたところで、その揃えた膝とこちらの膝を突き合わせても何の話をしたものだかといった感じだったので、当たらず障らずといった程度にしておいた。

それ以来、カケル叔父の姿は見なかった。確かその後、どうやら大阪を離れて九州だかどこだかに行ったんじゃないか、くらいのことは聞いた気がする。

そして、10年ほど経って、俺もゲイとして一通りの経験はし、大阪の堂山町にあるゲイバーにとある人と出かけた時のことだ。カウンターの端に座って飲んでいたら、後から来た中年男がひどく酔っ払っている様子で、店の入口の方からカウンターの中のスタッフと大声で話していた。中年だということは様子で分かったが、オネエというかおばさん口調であまりにうるさいので、どんな奴なんだろうかと首をひねってそっちを見たら、カケル叔父だった。叔父さんはおばさんだったという訳だ。女の格好はしていなかったけれども。

どうやら飲み代のツケでも払いに来たようで、カケル叔父もといカケルおばさんは飲まずにすぐ帰っていった。俺は話もしなければ、気づかれもしなかった。カケルおばさんがうちでチョコナンと座っていた時にお互いをちらっと見てから10年以上経っていて、俺は高校時分とはずいぶんルックスも違っていたから、気づかれなかったのは当たり前だろう。

店を出てから夜更けに、通りでもカケルおばさんを見た。ずいぶん上機嫌で、生き生きとして、仲間と笑いながら歩いていた。そして相変わらず趣味が悪かった。

その後、カケルおばさんがどこへ行ったのか、どうやって暮らしているのか、知らない。父の葬式の時には、連絡がつかなかったのか、連絡がついても金がなくなった父にはもはや用がないと思ったのか、姿を見せなかった。たぶんまたフラフラして、家賃を払えなくなってはまたどこかへ越すとかして暮らしているんじゃないかと思う。天気の悪い日、豹柄の傘を見ると、カケルおばさんを思い出す。