クラブ


ゆうべはアゲハに行ってきた。あそこは一時期はナアナアの営業でどうなることかと、クラブ文化を腐らせやがってと憤りつつ危惧していたのだが、最近はまた持ち直したようで、少し安堵。

うだうだ飲みつつ、バカ話をしつつ、踊りつつ、夜は更ける。2時になるとショーケーススタート。バビエは気合が入って頑張って練習したようで、期待通りスペクタクルなショーを披露。

スモークで分かりにくいが、いきなり宙吊り状態・超ロングドレスで登場。
スモークで分かりにくいが、いきなり宙吊り状態・超ロングドレスで登場。
バビエのショーのフィニッシュ。
バビエのショーのフィニッシュ。

その他、続く人達もいつになく頑張りの発揮された感じで、今回は自己満足もなく(笑)、素直によいショーだった。一番良かったのは、何かのコピーでなく、オリジナルでやろうとしていたところ。時間も予算も限りがあるなか、何かを生み出そうとするのは大変なことだ。そして、クラブに夢やスタイルが失われて久しい今、そうした形を創りだそうとしているのは、非常にインスパイアリングなことだと思う。

最後に勢揃い。
最後に勢揃い。

今回はバースペースでまったりしていたことが多かったのだが、ゴーゴーのなおきとも久しぶりに会い、いろいろ境遇の変化に驚きつつ話した。人にはいろいろあるもんだ。

Okuho(左)となおき(右)。一応ぼかしを施し、かつ小さめで。ああ、別に悪いことしてる訳じゃないんだから、こうした写真が修正なしでそのまま載せられるといいのに。
Okuho(左)となおき(右)。一応ぼかしを施し、かつ小さめで。ああ、別に悪いことしてる訳じゃないんだから、こうした写真が修正なしでそのまま載せられるといいのに。

それにしても、クラブにいるといろんなことを考える。ああ、あの人は経年劣化が激しいな、とか、あの人は相変わらず出好きなようだな、とか。昔親交があったけど、今は少し気まずい感じの人、誘いを振って向こうから避けられている感じの人、彼らはこの時代を経てこれから先どこへ行くんだろうか、とか。
あるいは、咲かせるのは一夜の徒花にしても、花開いていることには違いがなく、咲かない雑草よりも咲いた方が勝ちか、とか、音は昔からどのくらい進化したのだろう、ひょっとしたら93年くらいでもうクラブミュージックというのは完成してしまっていて、スタイル的にはひたすらもう焼き直しでしかないのではないだろうか、とか。
クラブでふと感じる群衆の中の孤独は、踊りを儀式的にさせ、その踊りはどこかへ捧げ自分を高次に持っていくまさにシャーマニズムの時代といささかも変わらないのではないかとか。
肉塊はやがて衰えてゆき、カイリー・ミノーグは”I don’t believe that beauty. Will ever be replaced.”と歌ったけれども、そのフラジャイルな一過性の物に賭ける価値はどれほどなのかと思っても、結局そこに引き戻されてゆくのなら賭けてみる人にはその価値があるのではないだろうか、とか、うんぬんかんぬん。

クラブの一夜にはたくさんの真実と、多くの虚構と、数多くの美と、数え切れない醜悪が渾然一体と埋め込まれている。人生の縮図のようなそれを通り抜けることで、通過儀礼をくぐり抜けた者のように、人は何かをつかむのではないだろうか。その構図に気づくことがでれきば、だけれど。