端正不在の時代


人や物の外見は重要だ。中身の現れであり、また、あり方をどう人に見せたいかというプレゼンテーション能力でもあり、また、それを見る他人に対する配慮でもあるからだ。最近、といっても今に始まったことではないが、いろんな場面で端正というものが失われていく、あるいは失われたことについて、特に悲嘆している。様々な価値観が認められるようになったのはいいことだが、普遍美とか、居住まいや所作が整っていて、控えめながらも凛とした雰囲気で美しいこと=端正さ、が本当に少なくなって、押し出しばかりが目立つようになった。

それは、人の顔の造作でもそうだ。内在する筋の通った強さを感じさせ、かつ形としてバランスの取れた「あらまほしい」容貌を見つけることは、虹を見るより稀だ。最近は「イケメン」という言葉も粗製濫造で、特段不細工でなければすべてイケメンと称されるようで、なんとも寛容なことだ。

ファッションでは、ひねりの効いた格好や自由を謳歌する格好などはよく目にするけれども、「ほう」と感心するような奥ゆかしく表現された粋とか、清潔さを伴ってなおかつスタイリッシュというのは、街なかで探すことも難しければ、洋服屋に行っても、有名店が軒並み入るデパートに行っても、ほとんど見かけなくなった。「ここなら安心」といえる拠り所としてのブランドもなく、かつてはちょっといいなと思えたのに、キャラクターを確立することがマーケティング的に求められて、ネームタグを表に見せるようになったり、無理やりアイコンアイテムを作ろうとしてバランスを失ったりするところは多い。

バリー。ストライプだけで十分アイコニックなのにそこに金文字でブランド名を入れるようになった。バリーのバッグはいくつか使っているのだが、余計なことをしてくれた。
バリー。ストライプだけで十分アイコニックなのにそこに金文字でブランド名を入れるようになった。バリーのバッグはいくつか使っているのだが、余計なことをしてくれた。

ファッションとは少し違うが、そういえばシャンパーニュのボトルデザイン変更でもそういうことがあった。それなんかはまだまだ控え目な例だが。そういえば、Louis Roedererのマーケット責任者が、かつて某ヒップホップアーティストが金と車と女と酒とというお決まりのビデオなどでクリスタルをリッチと成功の象徴としてたびたび取り上げているのを、牽制する発言をしたことがあった。案の定、それは差別だと突き上げをくらい(実質は、差別なのではなくて、自分達の商品はそういう派手さを求めるためのものではないという意味で言ったのであって、この点はLouis Roedererを擁護したい)、ヒップホップアーティストはクリスタルを捨て、次なるシャンパーニュを求めた。そして近年その筋や派手好き「セレブ」の間でもてはやされているのがこれ↓

なんともはや、なボトルデザイン。
なんともはや、なボトルデザイン。

Armand de Brignac(アルマン・ド・ブリニャック)。まあ、なるほどな、な感じだ。それ以上は敢えて言うまい。

最近、新しい物を見る度にがっかりする最たるものといえば、車のデザインだ。どれもこれも、ヘッドライトのサイドへの回り込みを過剰にしたり、グリルをガバッと開けたり、LEDヘッドライトユニットを配置するやり方が恣意的だったりして、モデルチェンジすると車の顔が不細工になるというか、人相ならぬ車相が悪くなる。全体のプロポーションも、流麗といえるものはどんどん消えて行って、アクのつよいフェンダーラインを無理やりプレスでつけたりして、モデルチェンジすると落胆するケースばかりだ。特に高級車やスポーツカーではぎょっとするような有様。

BMW 750iの巨大すぎる豚鼻。
BMW 750iの巨大すぎる豚鼻。
Audi A8L W12の垂れ下がったLEDライト配置と肥満した顔は小沢一郎の顔のようだ。
Audi A8L W12の垂れ下がったLEDライト配置と肥満した顔は小沢一郎の顔のようだ。
もともとカエル顔でデザインセンスのないポルシェはパナメーラによって醜さを開き直ったのか。
もともとカエル顔でデザインセンスのないポルシェはパナメーラによって醜さを開き直ったのか。
あのベントレーでさえこの有様。ジュネーブモーターショーでVWグループがこのSUVコンセプトモデル(おそらくほぼこのまま発売)を発表した時、あまりのことに会場は静まり返ったという。
あのベントレーでさえこの有様。ジュネーブモーターショーでVWグループがこのSUVコンセプトモデル(おそらくほぼこのまま発売)を発表した時、あまりのことに会場は静まり返ったという。

どの分野にも共通して言えるのは、他社(者)との競争で単純に張り合おうとすると、押しの強さ・アピールに手をつけるのが先決と思われてしまって、アグレッシブさの追求に走ってしまっているということ。佇んでいることに説得力があるという美学=端正や、内実といった事々は忘れ去られているようだ。
そういえば、言葉でも気になるものの一つに、「有言実行」という言葉がある。「コミットメントの達成」を求められる場面が随所にあるせいか、この言葉が実行力のあることを指し示すものとして普通だと思われていることに、違和感を感じる。このあたりにもアピールが実体に先行するという今の風潮が表れているように思えてならない。言うまでもないが、本来の言葉は「不言実行」である。