夜の暗さが恋しくて


土曜日、昼の11時過ぎまで寝ていたせいか、夜ジムに行って体を使ってきても眠くならず、むしろ体が目覚めてしまって、こんな時間まで起きている。最近はすっかり夜ふかしもしなくなった。ジムに行く時、最近のハウスミュージックを聴いていたのだが、こぢんまりとまとまっていて、面白くない。特に、トライバル・ハウスと呼ばれるもののサウンドスタイルがすっかり定型化してしまって、しかも「これのどこがトライバル?」と思うようなものばかり。4つ打ちが基本のバスドラに16分のシンコペーションをちょっとつけるとトライバルと名付けられるあれは、すぐに聴き飽きてしまう。

ふと、土曜日の夜が燃えていた頃を思う。クレイジーで、向こう見ずで、顔と体ですべての扉の鍵を開けていた時代。土曜の夜、いそいそとクラブやバーに出かければ、ぽうっとなるような惚れ惚れする男達が、これまたぽうっとなるような他の男と惚れた腫れたをやっていて、自分もそこに巻き込まれながらクールを装ってい、それでいて熱に浮かされていた。宝の在り処は匂いで探り当てるしかなく、夜は今より暗く、暗い中にいる人達は今よりも輝いていた。

夜が明るくなりすぎたのかもしれない。すべてがつまびらかに情報提供され、懇切丁寧にアクセスもシステムも知れ、ちょいちょいとタッチパネルに触れれば他人にもすぐ伝わる。でも、コアにどくどくと息づくものがなくなってしまった。

夜はもっと暗くなければならない。かそけき灯りの妖しくひらめく湿っぽい空間で、床に撒かれたベビーパウダーが今夜おろしたレッドウィングのブーツを汚してしまうのではないかと心配しながら尻を振って踊れ。酒は自分で買うな。トイレの鏡の前では念入りに時間をかけろ。トライバルで激しく踊れ。誇れる肉体を持っている者はそれを誇れ。持たない者はそれを垂涎の眼差しで見ろ。ドラァグクイーンをひやかせ、彼女らは見られたがっている。DJに敬意を払え。

こういうのをノスタルジーというのだろうか。今夜は何故か飲みたくもない。さあ、じょにおの眠るベッドに入ろう。今は今で、至福の日々なのだから。