衆愚


都知事選に関するニュースは、石原当確の速報が出て以来、震災関係よりも見たくないニュースだった。投票率は57.8%、前回よりも3.45%高かったとはいえ、以前6割を切る無関心さ。特に年齢別に見ると、20代、30代が低く、年代別に誰に投票したかを見ると、60代、70代で石原への投票への高さが目立つという。老害が老害を選んだ形だ。それにしても、他の候補がいかに頼りなげに見えたといえども、放射性物質の処理方法ではないが、より害の少ない(less harmfulな)選択肢はなかったものか。

昔から、投票率が低いと保守に有利というが、若い世代の政治への無関心が招いた結果+年寄りの超保守化+民主党へのダメ出し=絶望もしくは悪化への懸念という、見事なまでにネガティブな結果となった。(注:民主へはダメだしで大いにいいと思うが、結局一度選んだものがあのていたらくで選ぶわけにいかないものだという、選択肢の消滅という観点でのこと)自分の身の回りには理性的・良識的な人が多く、また、彼らは知的レベルも高い。そういうところからの発言を見ていると、そういう結果になるのは腑に落ちない感じでもあったが、衆愚政治とはこういうものなのだ。希望が見えないというレベルに留まらず、不安・不満が鬱積しているなかでのファッショ・自己愛への信任を与えたこの結果。今後4年の都政を想像しただけで、他府県へ引っ越したくなるほどだ。

民族だの男女差だの性的指向だので差別的言辞を弄する人は、それだけで政治に与するに値しない。何故なら、地方政治であってもいまや国際的協調主義なくしてもはや政治は成り立たず、民主政治の原義たる知者と被知者の自同性とは、異なる他者の存在を考慮に入れてはじめて成り立つものであるからだ。しかし、苦しい時代にあっては、より自分より下の存在を仮定してそれをくさすことで相対的に自分が浮き上がろうとする、士農工商穢多非人制度と構造の同じ差別構造の方が、自分を中流と思い込んでいる人々には、多様性などといって自分と考えの相容れない人々と一緒にいようとすることよりも、はるかに居心地がいいので、それをそっくり唱えてみせる愚者を選ぶ。本当の自分の存在は卑小で虚栄だけで成り立っている人間を。

かくして、三国人発言やら同性愛者を「足らない」などと言う差別発言を開き直る人間が表舞台に引き続き立つことになる。それが、この選挙結果の顕現だ。実に、実に恥ずかしく、誠に、誠に暗澹たる様で、日本の将来を停滞させ、後退しさえする選択と思う。韓国や中国のこのたびの震災に対する支援にどう説明をつけるのか。東京と姉妹友好都市であるパリ市長(ベルトラン・ドラノエ)やベルリンの市長(クラウス・ヴォーヴェライト)はゲイだが、その関係をどうするのか。

それにしても一番腹立たしくも愚かしいのは、投票に行かなかった人間。もう、これ以上は言いたくもない。

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さて、久しぶりにレストランのレビューを書いた。昨日、パートナーじょにおも休みだったので、たまには違うところで食事をしようと行ってみたのだ。震災直後には、うちでの食事の代替としての外食くらいしかしていなかったが、食を徐々にもとのライフスタイルに戻すのと、気分を変えるために。詳しくはこちらのページを参照してもらうとして、シャンパーニュの記録はこちらにしておこうと思う。今回のシャンパーニュは、Nicolas Feuillatteのポップなベイビーボトル、One Fo(u)r。ストラップがついて、ポップに持ち歩ける気軽なシャンパーニュとして発売されているものだ。Nicolas Feuillatte(日本では「ニコラ・フィアット」と書かれるが、「ニコラ・フュイアット」の方が発音に近いと思う。フィアットというとイタリアの自動車メーカーのFiatと誤解されそうだ)は、日本での知名度は今ひとつだが、2008年には900万本もの売上があり、フランスでの販売量は第1位なのだとか。メゾンは比較的新しいが、エールフランスやシンガポール航空でも採用されているとか。

Nicolas Feuillatteの"One Fo(u)r。
Nicolas Feuillatteの”One Fo(u)r。

さて、味わってみた。今回はレストランに車で行ったので、運転するじょにおは飲まず(ごめん!)、俺だけ。(なのでベイビーボトルのにした)香りは「洋梨やりんごの香り」と評されるようだが、もっとトロピカルな雰囲気がし、パイナップルやパッションフルーツのよう。泡立ちは穏やかで、色はやや薄い黄金色。飲んでみると、ボトルにはBrutと書かれているが、その割には甘め。しかし、しつこい甘さではなく、軽い魚介のオードブルなどにはぴったりの感じだった。軽い口当たりだが退屈ではなく、モエ・エ・シャンドンをいつどこで飲んでも同じで少々退屈と思っている人には、オルタナティブな選択としていいと思う。

同じカジュアルな売りのシャンパーニュというと、ポメリーのPOPを思い出す人も多いだろうが、クラブやオープンカフェなどで供されるPOPよりも上品で、フランス的な小粋さを感じた。これが一番フランスで売れているシャンパーニュとは、フランス国民の選択は賢い。東京の愚民による選択と対照的だ。

さて、だいぶレストランとシャンパーニュの話題で自分自身を救おうと試みてみたのだが、選択というくくりでひっかけた上記の言葉で、すっかり気分が元に戻ってしまった。やはりこの先の東京を思うと、気分は重い。嗚呼。