割り勘 vs 奢り


学生時代なんかには、どこかへ車で出かけたり、食事をしたりした時には割り勘だったものだ。10円以下の単位までではないけれど、電卓を出してきて「合理的に」割ったりした。

実は学生時代は、結構贅沢をしていた。東京の私大に通う学生の平均仕送り額の約3倍の金をもらい、かつ本代と服代はクレジットカードの家族カードで別決済という生活で、切りつめなければ生活できないという感じとはほど遠かった。いやむしろ、贅沢に好き放題に近かったかも知れない。それでもやり繰りというものを自分自身がやらねばならない立場になって、旅行や食事の時には、一緒にいる人が同年代であれば、割り勘にしたものだ。付き合ってきた相手とのデートにしても、基本は割り勘で出していた。その頃はほとんど年も違わない人と付き合っていたり、長く付き合った人は年上だったけれども、そうお金に余裕のある人ではなかったので、それはそれでよかったのだと思う。実は年上の沽券を傷つけたのではないか、と思うこともあったが、それは要らぬ心配だった。

いつからだろう、「あ、ここはいいよ」という感じになってきたのは。「あ、いいよ」は後悔したことがない。それは、奢りを期待してくるような下心の人とは付き合っておらず、良い時間をすごさせてくれて持ちつ持たれつの関係だったりすると、出しても「損」ではないのだ。

例えば、年下の友達と食事をする。その子が普段やりたいことに意欲を持ってあたっていて、生活はアルバイトや派遣で頑張っている。そんな子と食事をすると、別にバカ高いところでの食事に引っ張り出すのでもなし、ま、頑張っているからな、と思って出したりする。ある方が出しておけばいいじゃないか、というシンプルな考え方からそうする時もある。あるいは、友達と出かける時にたまたま自分がハンドルを握っていて、高速代を出したり、ハンドルを握っていたりする。ちょっと出かけて燃料代がいくらいくらとは算出できないし、何回か高速道路を通ると計算も面倒。楽しい時間を過ごさせてくれたのだし、と思うと、「あ、いいよ」となる。

最近では、うちで一緒に食事をしようよ、ということになったりした時、じょにおも俺も料理を作って人と食卓を囲むのが好きで、そんなに張り込んだことはしていないし、たまたま食べようかと思って買っていたものを余分に作っておいたとか、3人以上で食べた方が種類も量もおいしく食べられるというような場合に、「あ、いいよ」となる。

身内事情でいうと、じょにおは気の良い人で、そういうことに逐一賛成してくれるので俺も乗っているところがあるが、まだ20代だし、その分の拠出は俺がどこかで補えばいいと思っていたりして、そこでバランスを崩さなければ、家で食事を振る舞うくらいはいいんじゃないか、と思っていたりする。

思い返せば俺が20代の頃、逆にいろんなご馳走をしてもらったり、厚誼をはたらいてもらったりしたこともあった。そうしてこういうことは知らず知らず循環しているものなのだろう。長期的な目で自分の人生のなかで循環していることもあれば、ここは自分がもつ、相手が別の機会にもってくれる、ということでバランスが取れる場合もある。しかし、そのバランスの取り方は心理的な持ち分があったり、あるいは別の機会で奢られた礼を返すまでに時間がかかったりして、微妙なものだ。若い頃には、多分その心理の持ち具合や、機会の訪れを長い目で見るということは似つかわしくなく、その場その場を綺麗に保つ、正に精算が信頼関係とフィットしていたりするものなのかもしれない。

例えば、中学の同級生のKと会ったりすると、彼は非常に義理堅い人で、関西に行って会う機会があるとさらっと家でもてなしてくれたり、車で迎えに来てくれたり、季節にみかんを送ってくれたりするのだが、ひょっとしたら俺の拠出はそれにバランシングすると僅少かも知れない。しかし機会を見て何かの折りには何となく食事を持ってみたりして、バランスを失してはいない(と思う)。そんな彼とも学生時代なんかの時には、きっちり精算をしたりした。逆に言うと、そういうきっちりした精算の姿勢がある人とそれを繰り返してきて信頼関係ができ、お互い経済的にも自立してある程度の年月がすぎたこともそれに加わって鷹揚になるのかもしれないから、学生時代にきっちり精算をしていたのは、よかったのかもしれない。

この週末、土曜日に車好きの友人に、彼がとても素敵な車を買ったのでドライブに連れて行ってもらって、食事をしたり駐車場に車を入れたりするたびに絶妙なバランシングを彼がするのを見たり、日曜日に友人とプールに出かけて帰りに風呂に寄り、うちで食事をしてさらに別の友人がうちに立ち寄って食事をするという時にも、ここは誰もち、ということは別に気にすることもなく気持ちよくすごさせてもらったりしたことも、要は信頼関係なのだろうなあ、そして俺がいつの間にかそういう鷹揚な扱いをしてもいい年齢になったのだなあ、ということを感じた。