小説『クラブロンリー』第2章 [MYKONOS LOFT]


第1章[QUICK]から続く

MYKONOS LOFTは、土曜の夜にだけ開く、会員制のゲイクラブだ。QUICKでのゲイナイトは月1回だけ。QUICKでのゲイナイトがない週末は、今もMYKONOS LOFTに行く。

「ゲイクラブができたんだって」
と、ヒロシがDRAWSTRING BARで聞きつけて、次週一緒に行ってみようということになったのが、半年ほど前だ。ノンケが来ないようにするために会員カードを紹介で作らねばならないらしいと聞いて、証明写真を撮って、財布に入れてきた。別にスナップ写真でもいいと聞いたのは、会員証を作った後だ。

二丁目で2、3軒のバーを回り、靖国通りへ出て、MYKONOS LOFTを目指し歌舞伎町方面へ歩くのは、いつも零時を過ぎた頃。MYKONOS LOFTに行ってから二丁目に飲みに出る逆パターンのゲイと路上ですれ違うと、お互いに「こっち」だな、と同じ部族であることを認識する。原野で出会い、お互いが同じミッションを胸に秘めた者同士だと認めてまた森へと消えてゆく、ゲリラ兵の気分といってもいい。たまに「ああ二丁目行っちゃうのかよ、MYKONOSにそのままいればよかったのに」と思ういい男と入れ違いになる時があって、少し悔しい。でも、MYKONOSにもっといい男がいるかも、と考えると、その印象は薄まり、背中に消えてゆく。タクシーのヘッドライトが眩しく幻惑してもすぐ目が慣れて、後続車が見えてくるように。

MYKONOS LOFTには靖国通りからでなくとも脇から行けるのだが、俺は靖国通りから花園神社の鳥居をくぐって行くのが好きだ。昼間見ると、靖国通り沿いの大鳥居は、色気のない灰色なのだが、俺のイメージの中では朱赤だ。大鳥居をくぐってから、神社に行くまでの参道にある鳥居が朱赤だからなのかもしれない。いつも大鳥居をくぐる時に記憶を矯正する。なのに、昼間、平日の大学の講義室などでふと思い出すと、また大鳥居は朱赤に妖しく塗られている。

参道の石畳を歩き進むと、神社に入る手前の右手にあるビルの角に、黒い鉄の扉がある。その上に青いネオンサイン。一文字ごとに斜体になったMYKONOS LOFTの文字の下、小さく「会員制」の札が貼られた扉を開け、地下へと階段を下りる。ビートがドゥン、ドゥン、ドゥン、ドゥン、と鈍く響いてくる。

レセプションは、名前は忘れたが、何度か一緒にDRAWSTRING BARで飲んだ顔見知りだった。俺が持ってきた写真を会員証の台紙に貼り、ラミネートしてカードにしてよこす。いつもにこやかで感じがいいが、その奥では誰にも心を許さない、どこか閉じた感じを持つ、不思議な人だ。そしてそんなキャラクターは、丁寧であることが望まれるが無理な要求に対しては厳然とはねつける必要のあるレセプションという仕事に打ってつけなのだろう。

俺とヒロシはすんなり会員証を作って、入場料の1500円を払い、ドリンクチケットを受け取って、中へ。それまでキャッシュ・オン・デリバリーのバーか、伝統的に最後にお会計のスナック形式でしか頼んだことがなかったので、新鮮だった。後ろから次に来た客は、レセプショニストとは知り合いではなかったようだが、普通に会員証を作っていた。どうやら「紹介で」会員証を作らねばならない、というのは嘘で、レセプショニストが可否を判断しているようだった。俺達がゲイでなかったらどうするのだろうと思うが、ニ万パーセントそんなことはないし、見れば分かるということなのだろう。
防音ドアのレバーを押し下げて開けると、四つ打ちのバスドラしか聴こえなかった響きは、裏拍のハイハットとサンプルボイスがかぶさって明瞭な音楽になる。今日は暑い。タンクトップで来たのでロッカーに預ける物はなく、そのままダンスフロアーへ。ベビーパウダーの匂い。ステップを踏みやすいよう、フロアーにまだ人が少ないうちにと、フロアースタッフがせっせと撒いている最中だった。

とりあえず奥のドリンクカウンターへ行き、ジントニックをオーダーする。デュラレックスのグラスに氷が入れられ、タンカレーのボトルの緑色からとろりとした透明なジンが注がれる。氷と接したジンはムンクの『叫び』のようなモアレを束の間描くが、叫びはすぐにバーガンから注がれた炭酸水によって鎮められる。そこにレモンが絞られ、赤い細身のストローが2本挿されて、ジントニックが手元に滑り出て来る。ヒロシがキューバリブレをゲットするのを待つ間、俺は、トニックウォーターで割った酒がブラックライトで青白く光るのを眺めて楽しむ。ほの暗い中、ファーストドリンクを手にすると、夜が始まったな、という喜びを感じる。

初めてDRAWSTRING BARで踊った時、昼間の自分、学生の身分は仮の姿で、それを脱ぎ捨て、何者でもない自分が自分なのだと思える瞬間を夜に見出した。自分は夜の人間なのだと実感し、それ以降、夜は俺の味方だ。身を投じると、闇に優しく抱かれていると感じる。夜の暗さは、外界との軋轢を緩和する無限に広がる緩衝材だ。
乾杯。人が増えてくるのをじれったく眺めながら(今夜は人の入りがスローだ)、ダブルのストローから酒を舐める。と、ヒロシが「ヒューーー!」と歓声を上げながらフロアーへ出た。もう少しゆっくり飲んでいたかったのだが、しょうがない、Kim Wilde [You Came]がかかったのならば。

ドリンクを持ちながら踊る大抵の奴は、不格好だ。神経が行き届いていない。どうしたらいいか。酒をすするそのポーズまでダンスのポーズと心得えればいいのだ。少なくとも俺はそうやって踊っている。
隣で踊っているのは、エアロビクスのインストラクターだ。名前は知らないが、何度かジムで見たことがある。より正確に言えば、上気した顔でジムの一番奥のシャワーブースから出てきたところをだ。そのシャワーブースの扉は、すぐまた中から閉まった。罰の悪そうな顔をしなくても、事情は赤い股間が語っているので十分だ。ステップタッチ君はクラブのフロアーでエアロビクスの基本ステップを延々繰り返す。そして、それしかしない。それが彼の踊りの全てなのだ。俺はこいつのことを「ステップタッチ君」と名付けることにした。今は大体7000回ほど踏んだところだろうか。一晩に何万回やるのだろう。

今夜はいつもの土曜に比べると入りが今ひとつなのをDJも気にしているのか、早い時間から盛り上げにかかってくる。PWLで押してきた。Sonia、Sinitta、Samantha Fox、こんなのをこの時間にかけたら明け方は何をかけるつもりなんだろうという勢いで。

俺は曲によってはPWLの能天気サウンドも嫌いではないのだが、時々あまりにも打ち込み丸出しの音がダサく感じられて、乗り切れないことの方が多い。それよりももっとアンダーグラウンドでダークなのが俺の好みだ。俺の性分に通じる。

完全に自分の世界に入っているヒロシをフロアーに残して、俺は脇のラウンジスペースに下がる。休憩用のスツールに腰掛ける時、好みの男の近くを選ぶことを忘れない。隣は駄目だ。直接的過ぎる。1つ空けて、フロアーから戻ってきて座るのに自然で、適度にライトが当たり、しかし明るすぎない席。こういうのを瞬時に選ぶ自分の能力は、天才的だと思う。
今夜もベストポジションを確保した。ちらりと見やると、向こうも見ている。ヘインズのリブタンクを着こなす肉体。ダメージドの501のボタンフライやや左下に、充実した膨らみ。屈託のない健康美。ツーブロックの髪型を躊躇なく採り入れるところ。フン、頭がちょっと弱そうな、などと毒づいてみても、それが遠吠えでしかないことは、俺が一番よく知っている。完璧だ。

俺もモテない方ではない。DRAWSTRING BARでは、どこからかタダのドリンクが出てきたことも、2度や3度ではない。しかし、ゲイにおけるメインストリームは、彼のような男だ。結局、ものを考えない、眉間に皺の寄らない人生を送っている奴の勝ちなのだ。多くのゲイが負けを喫するのは、それは無駄に考えすぎてしまうからだ。ゲイに生まれたことを、そしてゲイとしてこれから自分の人生をどうするのかを。大方のゲイは、そうした煩悶を事ある毎・知らず知らず瞳の奥に刻み込んで、影を作ってしまう。
ある男がゲイかどうか見分ける能力を発揮する時、表情にそうした思い詰めたような痕が滲んでいるかどうかは、一つの指標になる。そこへ行くと、ただ流行りに身を任せて後悔も自問もない彼のようなタイプは、完全なる勝者だ。そしてこんなことを分析している俺は、敗者の闇を一層深くする。

第3章[QUICK メインフロアー]へ続く