音楽レビュー Me’Shell NdegéOcello


Ventriloquism (2018)


(★★★★☆ 星4つ)




世の中には、シンプルなことを小難しくしかできない人というのがいる。俺はその種の人間で、そういうことから言うと、シンパシーを感じつつも同族嫌悪にも似た感情で少し距離を置いておきたいアーティストというのがいる。

難解さや複雑性が持ち味でありながら、ポップにも足を突っ込んでいる存在といえば、まず思い浮かぶのが彼女、Me’Shell NdegéOcelloだ。これまでのディスコグラフィーを振り返るに、極初期の頃には聴いていたのだが、永らくその「面倒臭さ」に引きずり込まれるのが嫌で、聴くことを放り出していた。今回、またもや馴染みの薄い単語がタイトルのアルバムが出たのだが(日本語にすると腹話術で、少し親和性が出てくる)、中身はMe’Shell NdegéOcelloが10代の頃に接していた曲の再解釈によるカバー集だとか。そこで、曲自体には魅力を感じていたので、意を決して聴いてみた。

上質ではあると思うし、彼女にしかなし得ない独自世界を、名曲を素材によく表している。どの曲も、「あのアーティストのあれをこうするかぁ」という驚きで、まるでモレキュラーキュイジーヌのように素材を換骨奪胎した結果の結晶のようなものもあれば、このソースをかければ全部このソースの味でしかなくなる、といった究極のジャンクのような感じもある。いずれにしろ、人の耳を奪う力はすごい。

人間、ある程度年齢を重ねると、拭い去れないえぐみや、業を背負っているのが隠しても隠しきれなくなってくるものだが、それを曝け出す暴力的な勇気がこのアルバムを作り上げている。こうしかできなかったのだろうし、こうもできたのか、とも思う、捏ねくり回しとネイチャーの化合物。(2018/3/29 記)