映画レビュー イヴ・サンローラン (Yves Saint Laurent)



(★★★★☆ 星4つ)

同時期に制作された『サンローラン(Saint Laurent)』と題するカンヌ国際映画祭で上映されたベルトラン・ボネロ監督の作品
もあってややこしい。こちらの作品の監督はジャリル・レスペール監督の、メゾン公認映画。なお、他にピエール・ジェルベ(後述)が語ったドキュメンタリー『イヴ・サンローラン』(2011年制作)もあって、余計にややこしい。

さて、本作品。『イヴ・サンローラン』と題されているが、作中で心情の機微を描かれている中心人物は、ピエール・ベルジェだ。サンローランの公私共なるパートナーであり、メゾン設立からサンローランの死去まで半世紀を共に生きた人物。サンローラン自身の経歴はあまりにも有名で、ファッションに少し知見のある人なら誰しもが知るところだろうが、サンローランに寄り添い、メゾンを切り盛りし、ファッション帝国としてのメゾン イヴ・サンローランを不動のものにしたのは、間違いなくピエール・ベルジェ。

しかし、その知名度の差からして明らかなように、イヴ・サンローランには圧倒的に華がある。それに対してピエール・ジェルベはあくまで黒子。躁鬱で、感情にも行動のコントロールにもブレがあるイヴ・サンローランをアシストして、軌道修正させ、人生を安全に持っていく庇護者。

サンローランを愛したジェルベは、サンローランにブレがあり、自己統御が難しいなどということは百も承知で愛しぬく覚悟があったのだろう。そして、自分の人生はサンローランに捧げてはじめて意味を持つとでも達観したかのように、陰になり日向になりではなく、影になり続ける。その献身、心の痛みを抱えてもなおまっとうする愛。それを映画で観て、当然観客はジェルベに感情移入することだろう。

しかし、それでもこの映画はイヴ・サンローランなのだ。無論、公認映画だけに、メゾンの貴重なアーカイブを紐解いてのコレクションなどは出てくるし、ショーやアトリエの様子も描かれてはいる。しかし、その仕事ぶりや才能にそれ以上切り込むのは他に任せたとでもいわんばかりの潔い割り切りで、ファッションを除くと何もないと本人が自称する有様を裏打ちするように、ファッションよりもサンローランのか細い神経と享楽の生活がひたすら描き出される。観客は、ジェルベの存在に敬意を払いつつも、サンローランの眩しさに、幻惑されてしまう。スターの破天荒の方が、堅実や誠実よりも、人を惹きつけてしまうのだ。

これがメゾン公認とは思い切ったものだと、映画を観ていた時には思ったが、観終えて振り返ると、やはりサンローランのスター性は傑出しているなと思わざるを得ない。サンローランはアルチザンであり、デザイナーであり、ひょっとしたらアーティストでさえあったかもしれないが、何よりスターだった。デカダンな生活、薬物の常用などのシーンが出てきても、輝きがそれらのマイナス面を覆い隠してしまい、メゾンの名に傷をつけることはないので、公認でかまわないのだ。

スポットライトを浴びる人、脇にいることに意義のある人、そうした人の役目は、いわば自動的に決まって行くものだが、ジェルベのことを悲しいとは思わない。愛を全うした人間に残る唯一の悲しみは、その愛する人を失ったという事実だけだ。自分の人生に対して、誰の評価も、ましてや憐憫など、ジェルベは求めていないだろう。そして、ジェルベの人生も、偉大で気高いものだ。この映画は、サンローランの実態というよりも、その愛の気高さを知るにいい映画。(2016/11/12 記)