映画レビュー 100,000年後の安全 (Into Eternity)



(★★★★★ 星5つ)

核のゴミを如何に処理するか。この映画はフィンランドの最終処分場がどのように考えて作られているのかをレポートするドキュメンタリー映画である。まず、この映画は福島第一原発事故の前年に制作されている。つまり、世界最悪の原発事故による汚染物質拡散の悲劇が起きる前から、核のゴミについての問題提起を行っているのであって、付け焼き刃ではない(もちろん事故をきっかけに問題提起をすることがいけないのではなく、先後関係はこの種の問題を扱う種々のレポートの優劣ではない)。

要するに核のゴミの問題は、今に始まったことではなく、最初から起こることが分かっていたそれ、貯まる一方で根本処理のできないそれをどうするかということについて、本作はそれに伴う問題がいかに遠大であるかを描き出す。未だ大半の国々ではこの問題を積み残しているが、フィンランドは10万年後(半減期などの観点からその目標が定められたのだろう)まで持ち堪え得る「であろう」施設を作った。

一番説得力のある話は、今から10万年後の人がこの施設の内容を理解し得るかを考えるときに、我々が10万年前のネアンデルタール人の思考と伝達手段を理解し得るか、という問いかけだ。作中その話が出てくるのだが、なるほど、それを聞いただけで10万年後までの安全を期するというのがいかに不安定であるかが分かる。
そして、文明は後退するかもしれないという考えにもまた衝撃を受ける。そう、文明が生まれてこのかた、科学技術だの理解力だのは右肩上がりだと思い込んでいるが、それは極めて不確実なのだ。文明が崩壊しないと誰が言えるだろうか。そして今のレベルの情報理解力や科学力を失った人々(果たして『人々』だろうか??)に、これが根源的にいけない物で、そこから立ち去るべき、そして覚えていてさえいけない物だと理解させるには??? 問題はあまりにも漠然と大きく、方向性を失って拡散してしまいそうでさえある。

それでも現実として着々と増えつつあるこの厄介な物質を処理するために、今考えうることを尽くして最終処分場は建設を進められている。施設完成は2100年。それでさえ果てしない。そして、巨大で熟慮を要し、莫大な費用がかかり、永久貯蔵に適する地理的条件を厳しく要求するこの施設が処理できるのは、フィンランドの原発の分だけだ。
だったら最初からその物質を生み出すことをしなければいいのではないか? そう思うのが自然だろう。現代が負う未来への責任は、どこまで負うのが適当か。そんなことも考える。ともかく、全ての人が観るべき映画。(2014/2/3 記)