映画レビュー アイ・アム・サム (i am sam)



(★★★★☆ 星4つ)

だいぶ前に観てレビューを書こうと思いながら、扱われているテーマが機微で、書いていなかった。まずは攻めやすいところから行くと、ショーン・ペンもすごいし、ダコタ・ファニングもすごい。7歳児の知能しかない知的障害の父親が母親なしで子供を育てるという設定が、実話なのではないかとさえ思えてくる迫真さ。映画を観る意義として演技力に重きを置くなら、これは文句なしに「楽しめる」映画だ。

ところが、筋となると難しい。単純に「良かった!」「感動した!」と言える人は、かなりおめでたい部類の人と思う。普段、実社会で知的障害者の不当な扱いには憤りを覚えるし、人権は保障されてしかるべきだとも思っているが、もしこの映画のように、知的障害者が子供を持ってその知的障害者の親権たる人権と子供が幸福に育つこと(それにはもちろん親が子供を教育し、豊かな知的生活を導くことも含まれる)とを計りにかけるようなことがあったら、やはり親権を認め難いという判断も成り立つ気場合もあり得よう。

それから、一般論としての知的障害者への理解(頭での理解)とは別に、迫真の演技によって見せられた知的障害者のその様を受け入れることができるかという問題もある。法廷で訳の分からないことをしゃべりだす、パニックになって駄々をこねる、そういう存在を「おお、よしよし」と狼狽することなくすぐさま抵抗感なく受け入れられる人は少ないのではないか。

そしてそれがもとに引き起こされる問題が自分に関わることだったらどうか。実に難しい。俺が勤めていた職場にはADHDかアスペルガーかの疑いがあるような奴がいたが、職場でいちいちうろたえ混乱している様を見ると、正直かなりイライラした。(ADHDもアスペルガーも知的障害はないというが、高度で速度の早いビジネスシーンにおいて、始終うろたえ精神的に未熟な反応をするのを見ると、処理能力が劣ることは明らかで、それは情報社会で生きるための能力としては、十分に障害のレベルと言える。少なくとも能力を持った人々が毎日真剣に仕事をして成果を結集することを求められるような苛烈な職場には向いていない)

少し話が横道に逸れたが、この映画で言うと、自分が一番心情的に理解しやすかったのは、ミシェル・ファイファー演じる同僚への見栄からサムの弁護を引き受けることにになった弁護士だった。この映画は、自分とは異なる存在に対する受容度についてかなり考えさせられ、ハッピーエンドではあるが、終わっても「うーん」と腕組みをさせられるような映画だった。意義深いことに間違いはない。