映画レビュー エンジェルス・イン・アメリカ (Angels In America)



殿堂入り作品

アメリカのHBO(ケーブルTV)ドラマとして放映された本作は、通して見ると約6時間を要し、量・内容ともに圧倒的。6エピソードに分かれていて、各約1時間として見ることはできるが、通して見た方が、オリジナルの舞台劇と同じ感動(というよりも心が打ちのめされる揺さぶり)を味わえるだろう。ケーブルTVドラマとあなどることなかれ。制作費は6,500万ドルに及び、アル・パチーノ、メリル・ストリープ、エマ・トンプソンといった、演技の巧拙云々をいまさら論評するのも不要な名優達が渾身の演技を繰り広げる本作は、珠玉の出来。

この作品は、社会性とファンタジーの高度な熔融点に存在するもので、キリスト教・ユダヤ教・モルモン教の教義、ことにそれら啓示宗教のもととなる啓示についての知識と差異からくるイデオロギーの、お互いにもたらす軋轢について、多少なりとも理解していなければ、とても難解。難解といえば、キリスト 教的世界観、とりわけ黙示録の解釈が知識的前提であるのが多少難解。深い主題に目を追われがちで頭が混乱しそうだと思われる場合には、あらかじめあらすじを予習して見る方がよいかもしれない。が、基本は人間関係のドラマなので、ストーリーを追う方に主眼を置けば、見ていて苦痛ということはない。6時間弱の時間を要する本作だが、丁寧な人間描写と変化を読み解いていけば、決して時間が気になるほどの長さではない。

ファンタジーが視覚化される唐突さについて。もともとの芝居の舞台性に違和感を感じる人にとっては、映像化された本作はむしろ理解しやすくさえある。

英語の原著をかなり前(ミレニアム到来前)に読んだが、舞台脚本としての表現も多く、思考はそれに中断されがち。かつ啓示宗教の知識を前提とした表現が多く、英語をネイティブ言語としない者にとっては、かなり難解。ストーリーの印象は全体を通じて陰惨。その、冬の分厚い灰色の雲の下の景色のような陰鬱な印象は、ハッピーエンドからは遠いところにあった。
そんな原作に対し、本作はTVドラマだけあって(?)、最後には希望を持たせられている点が、違和感といえば違和感。しかしそれとても、単に希望の光がさす甘いものではなく、ただ生を受け入れ追求していく我々(そう、同性愛者でなくとも、HIV感染者/AIDS患者でなくとも、見ている我々ひとりひとりすべて)が、私欲・思想・信条・他人との関係性その他諸々の、摩擦や悲劇や超えられない壁といった苦悩を抱えてゆく道程の一里塚が今であることを、エンディングで知らしめるものであるので、これでよいのだろう。

とはいえ、同性愛者やHIV/AIDSといった素材/主題は、重厚かつ重苦しい。昨今ではそうしたトピックは、ややもすると作品のスパイス的に扱われかねないが、本作 はAIDS=死の病だった頃の悲壮を社会的主題として扱っており、これがTVドラマとして制作・放映されたことは、以下の事実を我々に再確認させる、社会的に大きな 意義のあるものだ。
すなわち、作品の舞台であった80年代後半から約20年を経た現在、本作が「社会の語られない闇」を人々の目にさらし、問わず語らずであった問題(注:同性愛者が「問題」ではない)は、ミレニアム到来があろうとも、きれいさっぱり贖罪を終えて更新されたりはせず、それがリアルな現在への連続事象であることを、本作は洗い出す。現代に生じている問題のオリジンが所在不明であると思い込んでいる人々にとって、その暴露は衝撃だろう。

素材は重々しく、ゲイ達がずっと主役であり続ける舞台設定は、一般の人にはとっつきにくいだろうが、それを超えて見る価値は十二分にある。必見。