映画レビュー 野火(1959)



(★★★★☆ 星4つ)

大岡昇平の小説『野火』は2015年にも映画化されているが、これは市川崑監督による1959年の初作。50年代であれば、太平洋戦争はまだ記憶に新しい時代であったはずだ。そのこともあってか、カラーも検討されたが血飛沫が生々しすぎるとのことで、モノクロになったのだとか。

主演は船越英二。まあ、下手くそである。原作では主人公はインテリながら徴兵されて戦地に投入され、その違和感の中で冷徹に戦争を観察する眼の持ち主であるのが、船越英二の顔が大写しになった最初の表情はまるでマヌケで、ちょっと頭の足りない人間が唯々諾々と隊から命じられるまま従っていることの虚しさを訴えるシーンなのかと思ってしまった。
その後も鬼気迫る境遇の中撤退の険しい道を歩くはずが、船越の顔を見ているとのんびり遠足替わりの逃避行でもしているかのよう。今も昔も、売り出し中の俳優を演技力を度外視して重要キャストに据えるのは、得てして作品の質を下げてしまうものだが、ここは市川監督も「売れてナンボ、金が入ってこそ次の作品に繋がるもの」と割り切ったのだろうか。
尤も、船越英二はこの役作りのために一週間水しか飲まず、厳しいコンディションで臨んだのだとか。しかし顔立ちや体つき、雰囲気作りの前に、演技を磨く必要があったように思う。

しかし、映画の全体としてはよくできており、丁寧に描かれてはいる。音楽には流石に時代を感じるが、銃火もリアリティーがあり、『野火』のハイライトである人を食らった人間の表情などは秀逸。本を読んでいない人にレイテ島で何があったのかを少しでも伝えるには意義ある映画だったことだろう。

主人公の心境をつぶさに描きだせれば言うことなしだったが、何せ船越の薄っぺらさではそれは望めなかった。如何せんそこが残念。また、原作では神の目が人間としての倫理観を支える重要な要素になっているが、この映画ではそこが主人公の言動からは何も伝わってこなかった。映画の主題の重要さに鑑みての星4つ。(2017/7/7 記)