ブックレビュー ポール・オースター


オラクル・ナイト


(★★★★☆ 星4つ)

物語は基本的には小説家である主人公を基軸に進む。が、作中、主人公の著す小説が詳細に展開されるなど、何重にも入れ子の構造になっているうえに、補説の形で物語にバックグラウンドが差し挟まれていて、最初は非常に読みにくい。下記『ムーン・パレス』のレビューでも書いたが、読みにくさを克服すると、この作品の魅力がわかる。この作品では3分の1ほどは我慢の連続だった。

しかし、そこを超えると、最初は何がなんだか分からなかったパズルが急に全景を顕すように、入れ子構造の物語それぞれがくっきり明確になってくる。すると、筋を追うのが面白くなる。そう、物語を読みたいと思って小説を読む向きには、この『オラクル・ナイト』はお誂え向き。ポール・オースターの、物語を自在に生み出す恐るべき才能を堪能できる。特異な舞台設定、その先この紙数でどうけりをつけるのだろうと思わせる展開など、小説家でも一部の者しかなし得ないことを、綿密な計算のうえでやってのけているのだ。しかも複数同時進行で。

この小説では主人公は小説家で、小説を書く際の逡巡、行き詰まりなども描かれている。実にリアル。作中作は結末をつけられるのか、それともどうなるのか、など、この本の読者を駆る推進力は強大。ただ、読者に忍耐を強いて読み進めさせた割には、最終部分などは筋のまとめとしての自分語りが少し親切過ぎるというか、くどい感じのところもある。しかし、それを置いても、ストーリーを追いつつ、それが複雑と思いつつ、果ては、実世界では誰もがバックグラウンドを持つ複雑な複数のストーリーを持っていてそれを小説を読むことで思い起こさせてくれるのだなというところまで持っていってくれる。秀逸で、知の楽しみに満ちた一作。(2018/2/14 記)

ムーン・パレス


(★★★☆☆ 星3つ)
身寄りを失ったコロンビア大生が文無しになってセントラルパークをさまよい、瀕死になったところで友人と美形の中国人キティに救われ、そこから運命は転生して…というドラマを描く長編小説。解説には下記の『幽霊たち』と比較され、『幽霊たち』が悲劇ならば『ムーン・パレス』はありそうもないことが次々起こる喜劇、と書かれている。同じニューヨークが舞台でも、こちらの『ムーン・パレス』は徹底したリアリティーに彩られていて、ハードボイルド風でどこか現実感を失わせてある『幽霊たち』とは確かに好対照。

物語性は豊富。しかし途中から興味が殺がれてしまった。どの登場人物にも完全には共感を持たれないように意図的に書かれてあるのだろう、そこは折り込み済みで読んだのだが、主人公が食うために住み込みの世話人として働き始めた雇用主たる老人の、過去延々たる西部活劇よろしく書き綴られる顛末記で飽きてしまった。そして、上記の喜劇と評される所以たる、主人公の縁故との出会いも、チープすぎて、「おお!」と意外性に目を見張るよりは、「あーあ、やっちゃった」と気を下げる感じ。

象徴性としての月はモチーフで繰り返し現れるのだが、テーマを見失わないように落としてあるパンくずのようで余計だし、そのパンくずを見失わなせようとするかのごとき余計な詭弁をふるい続ける主人公の皮肉な性格づけにも飽きてしまって、早く終わらないかなと思いながらページをめくった。

ただ、ポール・オースターの不思議なところは、共感できないな、文字を追うのが苦痛だなと思いながらも、どこか惹きつけられてしまうところ。修辞がはっとさせられるといってもさほど劇的で詩的ではないし、主人公の口に語らせる形を取った知の披露もインテリにありがちな意地悪さでげんなりなのだが、それでも読み手をたぐる手を持っている。それにしてやられてこの作品を手に取り読んだということは、結果作品の勝利であり、作家の勝利なのだが、読んでどうにも疲れてしまった。
例えて言うなら、知的なところに惹かれて会って話をしたらどうにも気の合わない人で、これなら会わずにおけばよかったと後悔した時のような疲労を感じた時のような。(2015/4/5 記)

幽霊たち


(★★★★☆ 星4つ)

ポール・オースターが脚光を浴びることになったニューヨーク3部作と言われる作品のうちの一つ。都会の虚無とクールさと、多くの人がいながら誰もが孤立していて、それでもどこか人との繋がりを渇望している様は、まさに都会。登場人物の名前はすべて「ブルー」「ブラック」「ホワイト」と表され、個人を追っているはずなのに個人的色彩を失って、ネオンのように認識可能でありながらそれら自体は意味をなさなくなっていく書き方も、都会的。

だが、筋がミステリアスなはずなのに、途中種明かしに気づいてしまって、楽しめなかった。こういうのは追いながらも考えてはいけない。それは伊坂幸太郎の『重力ピエロ』の時にも経験したが、謎の仕掛けに気づいてしまうと、そこから先の読書は消化試合になってしまうからだ。

しかし文体自体は好みの作家なので、これでめげることなく3部作の他2作も機会を作って読んでみたいとは思う。作家の世界に読者を引き込むだけの力は感じた。(2014/6/27 記)

リヴァイアサン


(★★★★☆ 星4つ)

まず、『リヴァイアサン』といっても、これはホッブズのあれとも関係なければ、B級深海クリーチャー映画のあれの原作本でもない。それから、これはテロの犯人をメインの素材に挙げているが、アメリカでの出版は1992年、9.11の起こるはるか前だ。といっても、アメリカでは社会にしろ思想・秩序にしろ、もう十分に混沌とした段階で書かれている。ちなみに1992年はユーゴスラビアが解体し、ロス暴動が起こった年だ。この本は、男女の間柄や交友と、偶然の出来事と、社会背景とが複雑に絡み合いながら展開されているので、いつ書かれたかを理解しておくのは重要だ。

さて、物語はアメリカ各地にある自由の女神像の爆弾テロ犯人が、主人公の知己であったことから始まっている。物語はあちらへ行きこちらへ行きして、主人公が破滅に至ったことをクロニクル的に描いていく。友人からの回顧記であるのに当人だけが知る具体性あるシーンが入っているのはいいとして、肝心なのは、なぜ自分の友人は爆弾テロ犯になったかの転機なのだが、そこがちょっとご都合主義というか、はしょりすぎでいただけなかった。

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結局友人は命を落としてもおかしくはないビルからの転落事故を生き延びた末に、他の事件に巻き込まれて人を(正当防衛的ながら)殺してしまう。挙句、活動家の本に出会ってそれを読んで心酔し、自らも活動家となる道を選ぶのだが、そこは本人からの独白で、そう簡単に触れられているにすぎず、食い足りない感が残る。事故に遭い、人を殺してもまだ自暴自棄になっていない人間が人生を変えてしまえるだけの本の内容とは何か・そこから何をインスパイアされたのかが描き出されていないと、本の主題を引っ張るエンジンがないのと同じだからだ。

しかし、全体としては非常に質が高い小説だ。物語を追っていく楽しみがある。物語に入り込ませる舞台設定が上手く、同時に過剰に感情移入させない配慮もある。小説家が小説家を物語中に登場させるが、皮肉っぽくもならず、自己弁護的にもならず、主人公が本の原稿として告白する作業と本の文体がうまく組み合わさっている。上記の食い足りない感はあっても、この作者の他の作品をまた読んでみたいと思わせた。それから、大抵洋書の訳本を読むとどこか単語の選択やセンスなどがちょっと、ということが多いのだが、この本の翻訳は作品に没入できる、いい翻訳だと思う。(2012/4/16 記)