ブックレビュー 稲垣足穂


一千一秒物語


(★★★☆☆ 星3つ)

自分にとって稲垣足穂といえば『A感覚とV感覚』だが、それもこの本には収録されている。しかし、それを読もうと思ってこの本を買ったのではなく、読もうと思ったのは、タイトルの物語に興味を惹かれたからだ。『A感覚とV感覚』は後述するとして、まず『一千一秒物語』だが、なんともシンプルでファンタジックな世界。星や月が出てきてはそれとの幻想的接触がごく短く描かれていて、これがあの性愛論を諄々と説いた人なのかと、少々戸惑いながら読んだ。いわば散文詩の連作のようなもので、世俗にまみれていると、清潔なその世界はしばし夜空を見上げるような清々しい気分を与えてくれる。

よほど月や星が好きだったのか、『天体嗜好症』なる作品も書いていて、それは小説なるがゆえに当然稲垣本人ではなく主人公が天体を好きなのだが、他の作品でも絵本のような世界を展開していて、すべて『一千一秒物語』がエッセンスで、他はそのエクステンデッドなのかと思ったら、本人もそう位置づけていたようだ。

ひるがえって『A感覚とV感覚』は、読むと、これが「お星様きらきら金銀砂子」の人から説かれたものかと、小説と思考論の違いに驚く。フロイトが性愛を口唇期だの肛門期だのに分けていたあれを、少し違う角度で眺めたようなもののような感じだが、そう論理的でも心理学的でもなく、いわば性愛に対する美学を謳っているようなもので、AだのVだのSだのMだのが散乱している現代から見ると、さして驚くべきようなこともなかった。

全体を通じて言えるのは、いわば飯の種にもならないようなことを書き散らすことで人生が成り立っていた(極貧期もあったというから、それで「飯が食えた」とは言えない)人がいたというのは面白いなと、これを読んで思えたこと。しかし、読んで展開にワクワクしたという文章でもなかったのもまた正直なところで、存在意義は客観的にはあっても、自分の感覚には今ひとつ響く所がなかった。