ブックレビュー 安部公房


燃えつきた地図


(★★★★☆ 星4つ)
ちびちび読んでは間を置きして読んで、読んでいる間、特に後半や、読み終えた直後には星3つだなと思っていた。しかし、この本が与えた印象を振り返ると、星4つと、1つ上がった。

この本が刊行されたのは、昭和42年9月。舞台の主な場所は、団地。当時はピカピカで、ブームだった所だ。そして団地には、性の匂いがする。その後、ポルノでさんざん団地妻が登場したことでも、当時の団地の憧れには、性のファンタジーが一体になっていたことが窺える。因みに、俺が生まれたのは、その2ヶ月後。

主人公は探偵。より正確に言えば、興信所の調査員。団地世代としては、探偵であっても一匹狼の孤独ではなく、飼い殺しの一員という訳だ。そして調査する事件の依頼者は、夫が失踪したという人妻。その構図だけで自ずとそこに関係が生じるだろうことは、読者の興味を牽引する駆動力の1つになる(どういう展開になるのかはここでは明かさない)。
そして疾走した男はどこへ行ったのか、どうして疾走したのかは、もちろん話を支える屋台骨になる訳だが、実はそこは重要ではないように思われる。

何故か。それは、この小説はそんな筋運びよりも、社会に巻き込まれながらそこを真剣に生きる人々、そのシリアスさの積み重なりが読者に与えるインパクトの方が重要だからだ。少なくとも俺にはそう思われた。

現代は、シリアスさに対する敬意がない。どんなに威厳を持った人・物(有形無形を問わず)に対しても、畏れを知らぬ茶化しがタブーとされない時代だ。ハードボイルドしかり。シリアスなものが生きる余地がない。ニヒルで、グレーで、ダークな硬質さに、平気でキティーちゃんのプリントがなされる。

しかし、クールさが生きていた時代が、この小説には描き出されている。暴力、社会の変革、一杯飲み屋、オンボロ車、色事、それらを真面目に扱うことが格好良く、その格好良さを笑う不遜のない時代。その構築は、しかしその時代や過去を保全しようとするものでなく、疾走している。その突っ走る姿をアバンギャルドで描き切った安部公房の才覚に、たとえ筋書き的には違和感を覚えようとも、3つから星を1つ上げての4つなのだ。(2016/11/27 記)

箱男


(★★★☆☆ 星3つ)

難儀しながら読んだ。というのは、この実験的長編に根気強く付き合うほど、俺は気が長くないからだ。なので、読んでは休み、休んでは読みして一応最後まで辿り着いた。筋があるようでない。ないようである。最初のモチーフが途中で繰り返され、イメージ写真が挿入されるなど、異色のデコンストラクションをやりたかったのは分かるが、読了して「ああ、高度な世界を体験して実りある体験だったな」とは思えなかった。

ただ雨が天から地へ降るように、時が過去から未来へ流れるように、文学が線条的世界である必然性はない。それはそうだし、単語単位でさえもっとシャッフルしてバラバラにしたビートニクの作品だってあるのだから、こういうことも多いにありだとは思うのだが、読んで得る物に期待しすぎたか。それとも、「本を読んで何かを得られると思うなよ」というところまでデコンストラクトしたのがこの作品なのか。いずれにせよ、自分の好みとは異質のものだった。(2014/2/13 記)

砂の女


(★★★★☆ 星4つ)

一見地味で、無彩色で、果てしない閉塞空間。砂で囲まれ脱出できない家に閉じ込められた男と、その家の女の攻防。よくそんな設定で、267ページにも及ぶ小説を書ききるものだと、その筆力に驚く。果てしないなかで、ちっぽけな自分の属性や、腹を立てながらも女に欲情してしまう人間の性(さが)を抱えているさま等々を読み進むうち、物語や情景にはたくさんの隠喩や示唆が含まれているように思われてくる。

しかし、砂なのだ。すべては、砂なのだ。なんともシュールで、狭く、しかし深い。舞台があって、ストーリーがあって、文体を味わえて、意味するところがある。つまり、小説というものののエッセンスが詰まっているような作品。

ビジュアル化しやすいだろうな、と思っていたら、やはり映画があるようだ。