社会的プロフィール


出生~幼児期

出生後に弁護士となる父と、後に一級建築士となる母との間に生まれる。母方の祖父は満鉄の嘱託医、のちに紫綬褒章授章。クラスを重んじる環境で育てられることとなる。幼稚園就学までは東京都立川市に住んでいた。
幼稚園私立
在大阪府吹田市
父親の仕事の関係で、大阪に引っ越す。あまり記憶がない。独り遊びが多かったよう。

小学校~大卒

小学校公立
在大阪府
市立の小学校なのに「奨励服」なるものがあり、厳格な雰囲気の不思議な学校。ずっと学級委員で、生徒会副会長をやるなど、いわゆる優等生で過ごす。
中学校公立
在大阪府
少し学校が楽しかった頃。現在まで続く友人と出会う。
高校公立
在大阪府
公立なのに「超」のつく進学校。他人をいかに出し抜くかを考えているようないやらしい生徒ばかりで、ここにいる連中と自分は違うと思い続けているうちに学校生活が終わる。一時期は半ば本気で中途退学を考えていた。
大学私立
東京都
法学部で民法(物権法)を専攻。法曹を志していたため、勉学は真面目にこなす。まだ司法試験合格率が数%で、しかも試験制度がころころ変わる時代。
大卒後司法浪人。東京から実家のあった大阪に強制的に呼び返される。暗黒時代。30歳で「マイナスをゼロに戻す仕事よりも、何かを生み出す仕事の方が自分には向いている」と決断し、法曹への道は諦める。

社会人

出版業
(雑誌編集)
勉強以外の余暇にすることがなく、手慰みに書いた投稿小説が入賞したことをきっかけに、エンターテインメント誌(?)の編集部に入る。初めての職でとまどいつつも、仕事の進め方、社会人の生活というものを(かなり世間とはズレていた会社ながら)経験・体得。いろいろ言いたいことはあるが、経験ということでは総じていうと得たものもあったからよしとする。この時期に仕事がらみで知り合った人で、現在も付き合いがある人がいるのは貴重だが、その数は少ない。
IT翻訳4年勤めた前職ののち、IT翻訳の会社に勤める。とにかく仕事の回らない会社。女性上司のバカさ加減に辟易して、(注:女性だからというのではない。と、思う)1年弱で次が決まっていないのにさっさと辞める。
PC周辺機器
(販促)
前職を辞めた翌月に、すんなり仕事が決まる。初めて会社としてまともな所を経験。マニアに受けるプレミアムブランドのPC周辺機器を製造する会社の販売会社に勤めていたので、気分よく仕事をしていたが、販社から長野の山奥にある本社への転勤の話を機に、離れる決意をする。
製薬
(広報)
外資系。医療業界では名が知られているが、内実は皆が自分の仕事だけに汲々として周りを顧ず、協働関係もまったく築けていない所。半年でエグゼクティブフロアの3分の2が入れ替わり、入った人事部長が一週間で辞めるなど。オコゼがオフセット衝突したような悲惨な外貌の女性上司から、パワハラを受ける。これも1年でさっさとサヨウナラ。
サービス
(広報)
女社長が経営するベンチャーの広報。社員の半数以上が女性。気分だけで仕事が右往左往もしくは停滞するゴタゴタばかり。巻き込まれたくないので、これまた潔くサヨウナラ。仕事をしているつもりになって「お仕事ごっこ」をしている人とは仕事ができないものだと痛感。
半導体企業理系がほとんどの会社で文系出身者はほとんどおらず、転職経験もない人が多いなか、法学部出身・複数社経験・採用の予定でなかったところを提案書をもとに雇い入れ、など、異色づくめで採用になる。が、職場には意外にも(?)馴染んでいる。企画系の仕事を経て、ウェブ・ドキュメント関係の部署に所属。
自由人早期退職者制度を利用して上記の会社を2013年9月末日で退社。
Web制作退職後、口コミでWeb制作を請け負っていたが、Web制作のワークプロジェクトをWeRK-J(ワーク・ジェイ)としてWebサイトを公開
会社員再び身分的には再び会社員に。ECサイト担当+宣伝担当として。上記Web制作も並行して行う。