戸隠へ その一

戸隠へ その一

十月というのに歩くと汗ばむほどの暑さが、数日続いた。しかし、週末には今度は秋雨前線がやってきて、しばらく雨模様が続くという。このタイミングを逃すと、また先延ばしになるだろう、今しかない、と、昨日思い立って、戸隠に行ってきた。

一人でドライブに行きたいとぼんやりと思い始めたのは、夏の中頃のことだった。夏の終わりになったら、あてどもなく車を転がして、何でもない光景を見て、行った先で帰るのがめんどくさくなり、しかし帰らねばならぬと帰路につく、そんなことがしたかった。が、行かないままずるずる日々を過ごしてきて、今に至ったのだった。

行き先を戸隠にしようと思ったことに、別段、何か思い入れがあった訳ではない。ただ、東京から日帰りで行ける場所で、あまり近くない所、と考えた時、ふと浮かんだ場所だ。

信州というと、何となく郷愁めいた甘酸っぱい香りが胸に漂う。というのは、昔、祖父の家があり、夏によく帰省したから。が、それは長野でも南部の木曾だった。
祖父も死んでもう十数年以上。信州の蒼い山々に囲まれた風景や、清冽な川の水の流れなども、記憶の中でぼやけて行く。今、木曾でなく、あまり訪れる機会のなかった北部へ行くことで、どこか繋がりのあるが別のところで記憶を再構築したい気持ちが自分の中ではたらいたのかもしれない。掘り起こすのではなく。

休みの前日に突然行こうと決心し、仕事を終えてから、休みの日にやろうと思っていた買い出しを急いで済ませた。
そこは能率よくこなしたのに、戸隠へ出かける準備は当日の朝になってからだった。日帰りのきままな旅行、登山をする訳でもなし、準備らしい準備も不要、と踏んでのことだった。俺はいつも、周到なようで、その場しのぎのところがある。

それでも、飯は食いっぱぐれのないように、店のあたりをつけておいた。新蕎麦の季節だ。蕎麦の名店を調べておくのは、悪いことではないだろう。信州の蕎麦屋は、だいたいが美味いが、たまに外れる。以前、旧友と車で出かけた時、たまたま入った何でもないドライブイン風情の蕎麦屋が、鮫皮のおろしと共に薬味のわさびを1本出してきて驚いたことがある。無論、蕎麦そのものも美味かった。そんなことがあった一方で、一度来たら二度と来ないであろう観光客を相手に、どうでもいいものを出す店にあたったこともある。飯屋を調べておくのは、転ばぬ先の杖だ。

他に見所も二、三調べて、場所をネット上のマップに保存して、ああ、俺は何でもないドライブをしたいのに、何故こんなに効率的に動こうとしているんだろうと、自分で呆れた。行くなら見逃せない所を押さえるというのは、旅の貧乏根性ではないだろうか。いつもそういうやり過ぎをしでかしてしまうのだから、こんな一人ドライブくらい、そんなことをしなくてもいいのに。

当日の朝、8時半前に家を出た。そうそう、今回のドライブには、一つテーマを決めていた。それは、80年代ミュージックをBGMにすること。一人のドライブでは内省的な気分になるだろうから、自我を形成した時代の音楽を集めて聴いてみようと、夏頃から音源を集め始めた。トップバッターは、Robert Palmer “Addicted To Love”。

関越に乗るまでは辛抱と心得ていた。案の定、道の進み具合は芳しくなく、工事用の車の路上駐車や、送り迎えのママさんカーやらで、のろのろ進んだり、あるいは進まなかったりする。都内の空は、どんよりと鈍色をしている。あまつさえ、靄さえ出ていて、ドライブに絶好とは言い難い。

関越に乗り、北上する。追越車線に居座る通常速度の車達に運転のしにくさを感じつつ、それでも川越を過ぎ、嵐山を抜け、群馬に入ると車も減ってきて、多少ドライブが楽しくなってくる。上信越へ接続すると、もう一段車は少なくなって、富岡、碓氷軽井沢と過ぎる。途中で降りて、そんな所へふと寄ってみてもいい、誰かと戸隠を約束したのではないのだから、と思いつつ、そうしない。結局、人は自分で自身をルートに乗せるのだ。Don Henley “Boys of Summer”を聴く。40代最後の夏を無為に通り過ぎたことを、また少し後悔しながら。

トンネルをいくつか抜け、上田市の手前で休憩する。高速道路のトンネルは不思議だ。どこのトンネルも都会にいるような気になる。規則正しい照明を追ってトンネルを抜ける毎、天気は次第によくなってき、いつしか秋の高い空が広がっていた。

開けた景色を眺めるのはいつぶりだろう。手を洗う水の冷たさに、ここは東京から離れているのだということを知る。上信越に入ってからのスムーズさが、朝の練馬の渋滞を取り戻してくれている。正午前には戸隠に着けそうだ。

長くなったのでその二へ続く

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