他人の努力の甲斐に見るライフスタイル


昨日、友人のあべおがうちに来た。あべおは社会人だった頃から、ある資格のために実践練習を積みながらお金を貯めて準備していて、今年度の春からは学校に入り、勉学に専念している。学校を卒業するのは来年度なのだが、今年資格のための試験を受けて、もう受かってしまった。昨日うちに来たのは、先日学校の演習プログラムの一環で地方に出かけたので、そこのお土産を持ってきてくれたのだ。

せっかくなので、お祝いにうちでじょにおの作ったご飯を食べて、乾杯した。全日制の学校の寮に入って勉学に専念している様は日々見てきていたので、最終目標である試験に早々合格したのは実に喜ばしい。しかし本人曰く、資格は取ってもいわばペーパードライバーで、これからもっと実践を積む必要があるそうで、来年度も学校に通うのは有益なのだとか。

それにしても、自分のやりたいことを見つけてそこに邁進している姿は、清々しくも羨ましい。ライフスタイルの骨格がしっかりしていて、そういうライフスタイルはスタイリッシュだと思う。彼の寮の部屋も見たことがあるが、質素で物に凝っているわけではないけれども、自分を勉学に振り向けている姿勢が感じられ、美しかった。

別にライフスタイルをスタイリッシュにするには、金をかけてあれこれ整備するのが唯一の方法ではない。インテリアだのファッションだのというのは趣味趣向の問題や、自分を形に反映するプレゼンテーションの問題で、ライフスタイルの一辺ではあるが、本質ではない。もちろんそれらもとても大事だが、生活に対する姿勢こそがライフスタイルのエッセンスなのだ。自分を向上させ、知見を深め、人格を磨くこと。社会的にフェアであり、人への配慮を忘れず、人間が自然によって生かされているのを知ってそこに感謝と恩返しを忘れずにいること。そうしたことごとこそが、真に豊かなライフスタイルを作るのだ。きれいごとに見えるかもしれないが、俺は本気でそう思っている。
きれいにしつらえた部屋の大画面テレビで愚にもつかないようなバラエティー番組をのべつ幕なし垂れ流しにして見ている人や、いいレストランで食事をしながらゲームをする子供をさせるがままにしておく親や、強欲と非難を受けながらしのぎをけずって他人や社会に迷惑をかけながら巨万の富を築くヘッジファンドに金をつぎ込む人のライフ「スタイル」は美しいか? 言わずもがなである。

蛇足:乾杯はLanson Black Label Brutで。色は淡く、味わいも軽く、酸味と軽い醗酵香がある。特に面白くもないが破綻もなく、食事をしながら普段に軽く飲む標準的なシャンパーニュとしてはいいと思った。真に豊かなライフスタイルについてななんぞやと一席ぶっておいてこういうノートは何だが、記録として。